六代将軍徳川家宣(いえのぶ)が庭園を大改修したとき植えられた松。長い年月を経過しても堂々たる枝の張り具合である。都内では最大級の黒松である。特に、地面に添って這うような力強い松の雄姿には感心した。
徳川家宣は、三代将軍家光の三男・甲府25万石を領する綱重の長子に生まれる。五代将軍綱吉に子がなかったことからその養子となり、やがて将軍職に就任した。門閥の外から間部詮房(まなべあきふさ)や儒学者の新井白石などを抜擢して補佐とし、儒教の理想に基づいた仁政を実現しようと努力した。施策は儀礼の整備、勘定奉行の改革、武家諸法度の改訂、朝鮮使節待遇の改善、大名火消しの設置など多岐にわたり、これらを総称して「正徳の治」と呼ぶ。 |