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<束福寺方丈と「八相の庭」>
方丈とは禅宗寺院における僧侶の住居であり、後には相見(応接)の間の役割が強くなった。東福寺方丈は明治14年(1881)の火災により仏殿、法堂、庫裏とともに焼失したが、明治23年(1890)に再建され、災禍を免れた三門、東司、禅堂、浴室などの中世禅宗建築とともに、現代木造建築の精粋を遺憾なく発揮している。
内部は3室2列の6室とし、南面に広縁を設ける。中央の間を室中と呼び、正面は双折(もれおれ)桟唐戸とする。
広大な方丈には東西南北に四庭が配され、「八相成道」に因んで「八相の庭」と称する。禅宗の方丈には、古くから多くの名園が残されてきたが、方丈の四周に庭園を巡らせたものは東福寺の方丈のみである。
作庭家・重森三玲(1896〜1975)によって昭和14年(1939)に完成されたもので、当寺の創建年代にふさわしい鎌倉時代庭園の質実剛健な風格を基調に、現代芸術の抽象的構成を取り入れた近代禅宗庭園の白眉として広く世界各国に紹介されている。
<東庭>
雲文様地割に円柱の石で北斗七星を構成し、北斗の庭と呼ばれる。北斗七星に見立てた石は、もと東司(重要文化財、旧便所)の柱石の余石を利用したもの。後方には天の川を表した生垣が配され、夜空が足元に広がるかのような小宇宙を造りだしている。 |
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<西庭>
さつきの刈り込みと砂地とを葛石(かずら)で方形に区切り、大きく市松模様に図案化する。井の字に等分した古代中国の田制「井田(せいでん)」に因み、「井田市松(せいでんいちまつ)」と呼ばれる。北庭へ続く途中には「通天台」と呼ばれる舞台が設けられ、眼下に渓谷「洗玉澗(せんぎょくかん)」を一望できる。 |
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<南庭>
「八相の庭」とは、四庭に配された「蓬莱(ほうらい)」「方丈」「濠洲(えいじゅう)」「壷梁(こりょう)」「八海」「五山」「井田市松」「北斗七星」の八つを、「八相成道(釈迦の生涯の八つの重要な出来事)」に因んで命名されたものである。
古来中国大陸の蓬莱神仙思想では、東の大海の彼方に仙人が往む「蓬莱」「方丈」「濠洲」「壷梁」と呼ばれる四仙島があり、島には仙薬財宝があると信じられた。 広さ210坪の枯山水庭園である南庭は、この四仙島を十八尺の長石を基本に巨石を剛健に配し、渦巻く砂紋によって「八海」を表す。西方には「五山」になぞらえた築山を置き、その苔地と砂紋とを区切る斜線の表現も効果的である。南正面に設けられた向唐破風の表門は昭憲皇太后の寄進と伝わる。恩賜門とも呼ばれ、小型ながら明治期唐門の代表作である。 |
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<北庭>
ウマスギゴケの縁との対比も色鮮やかな市松模様の敷石は、もと恩賜門に便われていたものである。サツキの丸刈リとの調和の炒も誠に印象深く、彫刻家・イサム・ノグチはこの庭を「モンドリアン風の新しい角度の庭」と評した。秋には、背景の紅葉の赤色と聖一国師が宋より持来したといわれる唐楓「通天紅葉」の黄金色とが織リなす色彩感あふれる空間となる。 |
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