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<特急形電車(クハ181形式)>
国鉄初の特急形電車151系を山岳路線で使用するため改造した出力増強形。161系も改造され、のちに新製車も登場。定員56人。
●高速運転で見通しをよくするため運転室を高くした「ボンネット形」とよばれる流線形の先頭車
●「軽量構造」による「全金属車体」は以後の特急形電車の標準仕様となった
●夏季でも快適な車内環境を提供するため全車両に冷暖房完備
●乗り心地改善のための「空気バネ台車」と「横揺れ防止ダンバー」
●静かな車内を実現するための「二重窓」と「浮き床構造」
●従来の座席のイメージを変革した3等車(2等車)の回転式クロスシート・2等車(1等車)のリクライニングシート
●長距離運転のサービスを向上させる電車初の食堂車を連結
●山岳路線での使用にそなえモーターをパワーアップ。急勾配に対応する「抑速ブレーキ」を装備
番号 |
クハ181−45 |
製造年 |
昭和40年(1965) |
全長 |
21.6m |
製造所 |
汽車製造 |
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<東京〜大阪間を日帰り圏内に>初の特急形電車登場
東海道本線は昭和31年(1956)に全線電化されたが、電気機関車がひく客車特急は東京〜大阪間を7時間30分かかっていた。昭和30年代になると、東海道本線ではビジネス客を中心とした往き来が多くなり、輸送力の増強や所要時間の短縮が求められた。
これらを実現するために昭和33年(1958)11月、国鉄初の電車方式による151系(当初は20系)特急電車が開発され、「こだま」として運転を開始した。東京〜大阪間は6時間50分(後に6時間30分)に短縮されて日帰り圏となり、車両の運用効率も向上した。
これまでにない斬新な外観とデザイン、冷暖房完備のの車内、電話やビュフェなどの設備も利用者に喜ばれ、以後の国鉄特急形車両の標準タイプとなり、新幹線電車の誕生に結びついた。
「こだま」の成功によって特急列車まで電車化されたことは、その後の日本の鉄道における列車運転方式が、電車方式主体となることを決定づけた。 |
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特急「こだま」が走っていた時代の象徴的なもの「白黒テレビ」と「東京タワー」
<白黒テレビ>
テレビが本格的に一般家庭に普及したのは、昭和30年代で、洗濯機・冷蔵庫とならんで家庭用電化製品の「三種の神器」とよばれた。ラジオに比べてテレビは情報量の飛躍的な増加をもたらし、たちまち家庭内の娯楽の中心的存在となった。
<東京タワー>
東京タワーは昭和33年81958)にできたテレビ放送用の電波送信塔です。関東一円に電波を届けるため高さは333mあり、パリのエッフェル塔よりも高い。展望台からの眺望は話題となり、東京の新しいシンボル・観光名所となった。 |