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駿遠線は、東海道本線袋井駅(当時)から南に浅羽平野の穀倉地帯を抜け、小笠、榛南の沿岸部を通過して藤枝大手に至る日本一の長さ(64.6q)を誇る軽便鉄道でした。
当初、この鉄道は地元有志の出資による中遠鉄道(袋井〜新三俣17.4q)の藤相鉄道(大手〜藤枝〜地頭方31.9q)だったが第2次世界大戦中に合併して静岡鉄道となり、後に両者を結んで巨大なローカル線が完成した。
地方の交通機関の発達を促すために作られた軽便は、文字通り国鉄(当時)の列車に比べて車両や線路はひとまわり小さく、少ない資本で開業することができた。軽便鉄道しか知らない子供が袋井駅で初めて国鉄の機関車の汽笛を聞き、その迫力に驚いて泣き出したこともあったそうです。
のどかな軽便鉄道は様々な挿話がある。ある時に横須賀(掛川市)で相撲の興行があって、その帰りに力士と観客が袋井に向かう軽便に大勢乗ったため、諸井〜袋井に向かう登り坂でついに止まってしまった。しかし、一人の力士が客車から降りて押すと、何事もなかったかのように軽便は坂を越えて静かに走り始めたそうです。 |
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やがて、静岡県の西部の静かな田舎町にも戦後のモータリゼーションの波が訪れ、バスや自動車に追われて軽便の乗客と貨物の輸送量は激減してしまった。経営の効率化のため、新三俣〜堀野新田間が昭和39年(1964)9月26日に廃止され、次に新袋井〜新三俣間が昭和42年(1967)8月27日に廃止され、ついで昭和43年(1968)8月22日
大井川 - 堀野新田 間 23.9kmを廃止、そして残っていた藤枝〜大井川間も昭和45年(1970)7月31日に廃止されて代行バスとなった。袋井市浅羽記念公園にて。 |
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