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JR東日本の陸羽東線・鳴子温泉駅は、鳴子温泉の玄関口にあたり、温泉街の中にある。陸羽東線の運行上の要となっている駅である。陸羽東線(宮城県遠田郡美里町の「小牛田駅」〜山形県新庄市の「新庄駅」)には、「奥の細道湯けむりライン」の愛称が付けられている。
<鳴子の地名由来>
源義経が兄頼朝に追われ奥州平泉に逃れる途中、北の方(正室)が亀割峠で亀若丸を出産したが、なかなか産声をあげず、この地に入り川原湯の温泉につかったとき初めて産声を上げたことから、この土地を「啼子」(なきこ)といい現在の「鳴子」になったという説です。
曾良の「奥の細道随行日記」の「名稱備忘録」に鳴子の湯と判官殿(義経のこと)のことが記されてあり、江戸で義経伝説を聞いていたのではないかと思われる。
曾良「名稱備忘録」
佐波古御湯
『岩城又仙台ヨリ新庄へ越ル道尿前ト云宿ノ近所鳴子ノ湯ト云有古ノ澤子ノ御湯之所ノ者ハ判官殿ノ古事ヲ云』
<鳴子温泉駅の駅名由来>
鳴子温泉には、旧温泉分類でいう11種類の泉質のうち、実に9種類ものお湯が沸き出している。「続日本紀」には、承和4年(837)、現在の温泉街裏の火山が大爆発し、潟沼が誕生したという記述も残され、古くから湯街として繁栄してきた。
地名の由来は二説ある。火山活動の天地を揺るがす音から「鳴声」「鳴郷」と呼ばれていたこと。そしてもうひとつは、鎌倉を追われて平泉へ向かう源義経が、我が子・亀若丸の産湯に使ったという説です。産湯に入れられた亀若丸が、初めて産声を上げたことから「啼子」の湯と呼ばれ、やがて現在の鳴子に変わったといわれている。
地名の由来を受けて、大正4年(1915)4月18日、陸羽東線が当地に開通した時、鳴子駅が開業した。その後、平成9年(1997)3月22日、より温泉地らしい駅名として、鳴子温泉駅と改称した。 |
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