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JR北海道の根室本線(花咲線)の厚床(あっとこ)駅。片面ホーム1面1線の無人駅。かつては標津線と根室本線の単式ホーム・島式ホームの複合2面3線であったが、標津線の廃止に伴い現行の状態になった。
駅舎は、標津線廃止後にバス待合所兼用として建て替えられている。 |
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駅構内に自由に演奏できる駅ピアノが置かれている。
<旧標津線分岐 厚床駅>
標津線は当所起点を厚床としていたが、根釧大地における拓殖事業の実施によって標茶からの線路が追加されたものである。
まず、厚床−西別間が昭和8年(1933)12月1日に開通、翌年10月1日中標津までが開通して厚床−中標津間が全通した。一方標茶口からは昭和11年(1936)10月29日計根別まで開通、昭和12年(1937)10月30日中標津を経由して根室標津までの前線が開通した。
当時簡易線として建設されたこの線区は、地形の山坂のままで路盤を構成していたため、いたるところにスリバチ形の勾配線が多く、旅行者の間から揺篭列車の異名を付けられたものである。
機関車はC12、C11型が主役で速度も45q/hに制約されていたので冬期間の吹雪には弱かった。特に昭和13年(1938)〜14年(1939)頃には、武佐山嵐の豪雪により、沿線の電柱が雪に埋まり、氷のように堅い雪の上を歩くと電線に足に引っかかることもあったほどで、岩見沢から救援にきたロータリー除雪車が昼夜兼行の作業でも、開通までに12日間もかかった記録が残っている。
標津線は太平洋戦争の飛行場建設と観光ブームによりクローズアップされ、その飛行場は西春別、計根別、上武佐、東標津の4ヵ所に建設されたが、終戦とともに撤収され、現中標津飛行場のみその名残をと留めている。平成元年(1989)4月29日
廃止。 |
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