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椰子の実
渥美半島 愛知県田原市
「名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ−−」歌碑は、渥美半島の先端である伊良湖岬から少し離れた「日出の石門」近くにある。
柳田國男は明治31年(1898)年8月から1ヶ月伊良湖に滞在し、その時に椰子の実が漂着しているのを見つけた。帰京後、島崎藤村にこの話をし、藤村は、これを元にして「椰子の実」を書く。
「椰子の実」は、明治33年(1900)年、新小説に発表された五編の詩のうちの一編で、後に「落梅集」に収められた。
「 椰子の実 」
作詞 島崎藤村 作曲 大中寅二
1番
名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を 離れて 汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)
2番
旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる 枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚(なぎさ)を枕 孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ
3番
実をとりて 胸にあつれば 新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)
海の日の 沈むを見れば 激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙
思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお) いずれの日にか 国に帰らん
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柳田國男と椰子の実
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日本民俗学の父といわれる柳田國男が「伊良湖岬」の小さな漁村に滞在したのは、明治31年(1898)に夏の約50日間で、東京帝国大学在学中、23歳の時であった。
柳田に「伊良湖岬」を紹介したのは、当地出身の挿画家宮川春汀であり、彼の語る故郷の素朴な民情に心を引かれた柳田は、伊良湖村の小久保惣三郎の離れ座敷に仮寓し、長期の夏期休暇の日々を送った。
伊良湖滞在中の柳田は、一夏にわたって近在の村々や神島へと足を伸ばし、風景明媚な自然や、素朴な村人たちとも親好をを深め、自適の中に見聞を広めた。
「恋路ヶ浜」に流れ着いた「椰子の実」を偶然見つけたのはこの時のことで、後に友人の島崎藤村にその話をしたことが素材となり、不朽の名作「椰子の実」の叙情詩が生まれた。この「椰子の実」の詩は、昭和11年(1936)大中寅二によって作曲され、国民歌謡として多くの人たちに愛誦され、今もなお心の詩として歌い継がれている。
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