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<早春賦のふるさと>
早春賦が発表されたのは大正二年発行の新作唱歌第三集であり、信州の夏期講習会の教材としてつくられ、遅い安曇野の春を待ちわびる心を歌ったものであるといわれ、以来多くの人々に愛唱されてきた。
作詞者大分県臼杵市出身吉丸一昌は音韻学を極めた清新な作歌者であり、作曲者東京都下渋谷出身中田章は音楽理論とオルガンに卓越し何れも明治・大正初期にわたる東京音楽学校教授として、ともに命名が高かった。
十数年前からこの里に早春賦の歌碑をたてたいというねがいがあったが、いまその機熟し、町民をはじめ多くの人たちの御厚志により、書を芸術院会員高橋節郎氏に、鋳金を日展評議員宮田宏平氏にお願いして、この丘に碑を建立する。
昭和五十九年四月二十一日
穂高町早春賦歌碑建立委員会 |
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「 早春賦 」
作詞 吉丸一昌(よしまるかずまさ) 作曲 中田 章(なかだあきら)
1 |
春は名のみの風の寒さや
谷の鶯歌は思へど
時にあらずと声も立てず
時にあらずと声も立てず |
2 |
氷解け去り葦は角(つの)ぐむ
さては時ぞと思ふあやにく
今日もきのふも雪の空
今日もきのふも雪の空 |
3 |
春と聞かねば知らでありしを
聞けば急かるる胸の思を
いかにせよとのこの頃か
いかにせよとのこの頃か |
早春賦は、氷がとけると春がやってくる、春の訪れを待ちわびる山国の人々の心情が詠われている。歌碑は、穂高川の堤の上にある。最下段の画像が穂高川で、「早春賦の碑」の前を流れている。
歌碑には”氷解け”とあったが、氷がとけるのは”溶ける”であって、”解ける”とは違うような気がするがどうでしょうか。ネットで歌詞を調べると「氷解け」と「氷溶け」の両方が混在している。 |
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