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古今雛は、江戸時代後期に、江戸の人形師の原舟月が古代雛を参考に創始した雛人形です。衣装は、男雛が束帯、女雛が唐衣装の正装で、金や色の糸などを使って刺繍が施された美しい装束となっている。
女雛の冠は、天冠(てんかん)と呼ばれる大きな金の冠が多く、釵子(さいし)と額櫛(ひたいぐし)や左右の端にいくつもの小さな玉をつないだ瓔珞(ようらく)を下げていりものもある。
雛人形の目の玉には、水晶やガラスがはめ込まれ、徐々に華麗で精密なつくりとなり、現在のひな人形の祖形といわれている。 |
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●天冠:内裏雛の女雛などがつける冠(かんむり)で、金色の冠物の周囲を、小さな珠(玉)をいくつもつないだ瓔珞などの装飾で飾っているものです。おすべらかしの髪型の女雛になると冠は被らず、釵子・額櫛などとなる。
●瓔珞・玉や貴金属に紐を通してつないだ飾り。 |
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<雛人形の起源と役割>
雛人形の起源を何に求めるか、複数の説がある。平安時代の貴族の女子の人形遊び「ひひな遊び」説。人形(ひとがた)・形代(かたしろ)に厄を移して川に流す風習(「流し雛」の原型)説。幼児の枕辺において病気や災厄を祓い、無事な成長を祈る人形の天児(あまがつ)・這子(ほうこ)説などです。
雛人形の役割も、江戸時代になると、災厄を身代わりさせる意味合いから、身分の高い女性の嫁入り道具になっていった。
雛祭りとして、雛人形が庶民により広く行われるようになったのは、江戸時代の貞享〜元禄年間(17世紀末〜18世紀初)以降になってからです。江戸時代後期には、女の子の幸福を祈るものとしての意味が主流となった。また、同時に、武家や町人社会では、縁起物として、官女や囃子が加えられた段飾りが発展した。 |