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野口町の屋台は昭和37年(1962)6月に起工、翌38年4月に竣工したもので、桃山式二重屋根堀出し唐大破風造り古典的建築技術の真髄を問わんとする豪華爛漫、優雅を極めた御殿屋台にして一階は三手先出組、二階は二手先出組で重厚なる品位を発揮している。
この屋台は、高さ5m・幅4m・重量約5千sある。工匠は古代建築の研究家と知られ、御殿屋台と組んで50年の侠骨、高塚師の設計施工によるもので、渾身十ヶ月で竣工し、本体は木目の美しさを生かして欅白木造り屋根を総銅葺きにして、垂木先端等八百余ヶ所は、「の組」紋を打ち出したいぶし銅で装飾。八本柱は金縁を取り、出組等は漆塗り木地呂仕上げで特に高欄を支える縁柱は屋台に画期的例外とされるとされる「堆朱」を施し、端午の節句を象徴する五色の吹き流しを鏡の如く磨き出した工芸美術品である。 |
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彫刻は欅材で「福寿」なる題名を以て表現に構想を練り、七福神を主体にしている。屋台に高欄を附したるは全国にその例はないが正面に厚さ20p、側面12pそれぞれ一枚欅材掘りぬきで唐子童子の獅子舞群像で囲み殊に偉容をそえている。
正面二頭の「向かい竜」は樹齢約300年、長さ4mの一本欅素材を。専念三ヶ月で彫り上げ、銘打って「深山大嵐苦勝三百年世宝龍」と号し「宿縁の光」と裏面に刻銘してある。
正面御簾脇上に七羽の鶴、腰彫りに菖蒲と亀をあしらい、欄内には花の王者牡丹に可憐な蝶を配し、屋根棟正面に巨大な雷神、後方には風神を安置、宇宙大自然の変化偉大なるを象徴している。
脇障子は童子の独楽遊びで子供の成長を希う親の慈愛が込められ、また縁柱下の十二支の動物は年月と四季輪廻無窮を表しており、この屋台を担う車台の頭は二頭の象で、重圧にも耐え抜き艱難(かんなん)をも克服し力強く大地を踏む人生の道を教えている。之には人は人を知る、工匠の要請に応えて越前の住人当代の甚五郎と知られる名工志村流張親子馳せ来たり工匠高塚師と四つに組んで「我精魂浜松に留む」との気迫みなぎり豪放と優美「動」と「静」協力の和を纏(まと)めた入魂の作と思われ彫刻の完成をみたのである。 |
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○工 匠:高塚房太郎、奥田光圀
○彫刻師:志村流張、志村孝士
○塗 師:和田喜作
○屋根師:河合佐一 (屋台解説文より) |