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浜松まつりの呼び物となっている凧揚げ。その起源については、いくつかの説がある。一説によると今からおよそ430余年前の永禄年間(1558〜1569)に、当時の浜松を治めていた引間城主の長男誕生を祝って城中高く凧を揚げたことが、凧揚げの起源であるといわれているが、記録としては定かではない。なお、記録に残っているものとしては、寛政年間(1789〜1800)の記録に凧の記述がみられる。「遠州のからっ風」と呼ばれる強い風が吹くこの地は、気候的にも凧揚げに好条件であり、東西の文化の合流点だったことで、さらに盛んになっていった。 |
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江戸時代に定着したといわれている浜松まつりは、明治に入ってさらに活気を帯びてきた。今では浜松まつりに欠かせない初凧・凧合戦が本格化したのも明治20年頃で、長男が生まれたらその子の成長を願って凧を揚げる初凧の風習は、遠州地方に広がっていった。
凧揚げはもともと各町で行われていたが、やがて一か所にまとめようという気運が生まれ、大正時代には組織も整えられ、会場も決められてまつりとしての体裁も整うことになった。これが今の浜松まつりの原型である。 |
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各町のシンボルである凧じるしにも、現在の形に収まるまでには変遷があった。当初、初凧には鶴亀、日の出などの祝いの絵模様が多かったため、町内凧になってからも絵凧が多かったが、凧合戦が盛んになってくると1000m以上の高さまで揚がるものも出てきたため、一目で判断しやすいようシンプルでくっきりとした字凧が主流になってきた。(以上凧揚げ合戦説明より) |
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大人も子供も一つになって祭りを楽しみ盛り上げる。地域の輪も広がり、人々の絆も確かめられる。出費もかさむことだろうが、住民の連帯感は増していくだろう。起業家の町の心躍る勇壮な祭りである。 |