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蔵興寺(臨済宗方広寺派)は、地元では、通称「虚空蔵寺」と呼ばれたり、「虚空蔵さん」の愛称で親しまれている。それは昔から知恵授かりの寺として崇敬されてきたからである。その大祭「虚空蔵尊大祭」が2月13日に開かれる。受験生の入試合格や厄よけ開運の願かけに大勢の人々で賑わう。ここでは「知恵だるま」に、自分の願い事を書いてもらうのがお目当てである。時節柄、受験生が多い。
2月13日が大祭であったが、現在は11〜13日の3日間に延長されている。3日間に延びたことにより参拝者がならされ、かつての賑やかさが減っている。昔の賑わいを知っている者にとっては分散開催で寂しくなった大祭ではある。だるまを売る露天、買い求める人が多い。
虚空蔵尊大祭は、平成25年(2013)より2月の第2土、日に開かれるように変更された。 |
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<福だるま縁起>
達磨大師はお釈迦様から28代目の法を継ぎ、正伝の仏法を東の国々に伝えるため、インドから中国に渡り、少林寺で9年間坐禅の指導をされ、たくさんの弟子を育てて禅宗の開祖となった。
大師の教えを解り易くいえば「心の眼を開け」で、肉眼を大きく開いていても心眼を開かなければ本当の人間ではないと教えられる。肉眼では自分だけの力で偉くなったように見えるが、心の眼が点じられる、全ての人のお蔭で生かされていることがわかる。開眼だるまのいわれはここにある。心眼を起こしたとき右眼を点じ、願が成就したならば左眼を入れて満願となる。これを度重ねていけば自然と心眼が開けていく。
達磨大師は面壁九年の坐禅で手足が腐って「起き上り小法師」のようになったという話が伝えられているが、大師は一生の間諸方に旅して法を説かれた。手足が無くなったというのは肉体の手足でなく、小賢しい人間の好ましからぬ働きが消えたことを象徴されている。起き上り小法師が転んでもすぐ起き上がるのなぜでしょうか。重心の在り所のかげんです。頭や胸に、智・情・意の重心があるかぎり、転んだら容易に起き上がることはできない。小法師の重心はどこにあるか、これは人間に通じることである。
一日に一度、静かに坐って身体と呼吸と心を調えように努力すると、その人の重心は起き上り易い下腹に移動する。何かに失敗したり、つまづいたり、いきずまった時、素早く再起することができる。「七転八起」の所以です。 |
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目じゃ人間の魂です。心願を起こしたなら、まず己の一眼を、「だるま」に向かって左に入れ(右眼)、不断の努力を積み重ねて、心願が成就すれば、他眼を入れて満願となる、心の眼も少しずつ開ける。
<日本の五大虚空蔵菩薩>
茨城県東海村の虚空蔵堂・福島県柳津町のやないず虚空蔵・京都嵐山の法輪寺・長野県丸子町の法住寺・浜松市新橋(にっぱし)虚空蔵が有名です。弘法大師も虚空蔵求聞持という加持力で、記憶力の増大と大神通力を得た。
<虚空蔵様の五知力>
一、福徳智慧 (子どもの誕生日、七五三)
一、除障除病気 (厄年、家内安全、 十三詣り)
一、必勝 (入学、選挙他)
一、能満 (営業満足)
一、官位上昇 (昇進) |