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<竹久夢二寓居跡>
明治・大正・昭和の3代にわたり波乱の人生を送った不世出の詩人・画家、竹久夢二は、大正3年(1914)秋頃笠井彦乃と出会い、運命的な恋におちた。彦乃は、東京日本橋の紙問屋の一人娘であり、彼女を愛する父は、後継者であった娘の恋に反対であった。
大正4年(1915)に結ばれた二人は互いに「山」、「川」と呼び合いつつ人目を忍ぶ逢瀬を重ね、ついには大正5年京都に逃れた夢二を彦乃が追うようにして訪れ、短くも至福の日々をこの地で送ったのである。夢二には、彦乃が訪れるまでの数ヶ月間をこの家で過ごしている。
隣にあるおしるこ店「かさぎ屋」には、彦乃とともにしばしば訪れている。 |
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竹久夢二寓居跡のある二寧坂は、産寧坂と並んで清水寺への参拝路になっている。観光客でいつも賑わいを見せる。 |
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<竹久夢二住居跡 東京都渋谷区> |
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画家・詩人 竹久夢二は、38歳の大正10年(1921)8月から大正14年(1925)1月まで、この場所(当時、渋谷町宇田川857番地)に住んで、「どんたく図案社」・「一草居」の表札を掲げて画業にはげみ、また小説の執筆などを行っていた。夢二の3番目の妻お葉さんと暮らした家の跡である。 |