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<徳川吉宗・生誕地>
徳川吉宗は貞享元年(1684)10月、城下吹上邸で生まれたとされている。父は紀州徳川家2代藩主の徳川光貞で、母はその側室お由利である。元禄10年(1697)4月、越前国丹生郡葛野藩(現福井県朝日町)3万石の大名に取り立てられ、宝永2年(1705)2人の兄の相次ぐ死によって5代藩主となる。
その後、7代将軍家継の死去とともに、老中たちの推挙により、享保元年(1716)8代将軍になる。就任早々、間部詮房、新井白石を罷免して人心を一新し、以後目安箱や御庭番を設置して情報収集に努め、高品位の通貨発行、財政再建など一連の改革(享保の改革)によって幕威を回復した。幕府支配体制の強化を図り、「徳川中興の英主」といわれる。(1684〜1751年 在職 1716〜1745年) |
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