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此の世の中で
唯ひとつのもの
そは母の子守歌 サトウハチロー |
詩人・サトウハチロー(1903〜1973)は、昭和12年から昭和48年まで、ここに住んで、数多くの詩や小説を書いた。中でも”ちいさい秋みつけた”の詩ではこの庭にある櫨(はぜ)の木を見て「はぜの葉紅くて入日色」とうたっている。(作曲:
中田喜直)
ハチロー歿後、その妻・房枝が”サトウハチロー記念館”として、昭和52年から一般公開したが房枝歿後の平成7年11月末日をもって、記念館は岩手県北上市に移転した。
1997年4月 岡本春枝 建立 |
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本名は佐藤八郎(1903〜1973)詩人・童謡作家。
小説家佐藤紅緑(こうろく)の長男として、明治36年(1903)市谷薬王寺前町に生まれた。大正5年(1916)小日向台町小学校を卒業し、早稲田中学に入学した。この頃から詩を書き始め、16歳のとき西条八十に師事し、詩を学んだ。大正10年(1921)「金の船」や「少年倶楽部」などに童謡を発表し、大正15年(1926)に詩集「爪色の雨」を発刊、詩人として歩みはじめた。
昭和12年(1937)上野桜木町から、向ヶ丘弥生町に移った。週1回の、詩の勉強会”木曜会”が開かれ「木曜手帳」が刊行されたのも、この地である。
昭和52年(1977)自宅の一階を改装して記念館が開館され、原稿や愛用品が展示されたが、記念館は平成8年(1996)岩手県北上市に移った。
庭の一隅に、童謡「ちいさい秋みつけた」に歌われた”はぜの木”があったが、平成13年(2001)10月礫川公園(春日1−15)内に移植された。 |
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