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<鏡師中島伊勢・住居跡>
中島伊勢の住居は、赤穂事件の後、町人に払い下げられ、本所松坂町となったこの辺りにあった。伊勢は、幕府用達の鏡師で、宝暦13年(1763)、後に葛飾北斎となる時太郎を養子とする。
北斎の出生には不明な点が多く、はっきりとしたことは判らない。中島家はこの養子縁組を破綻にし、実子に家督を譲るが、北斎はその後も中島姓を名乗っていることから、中島伊勢の妾腹の子だったという説もある。
飯島虚心の「葛飾北斎伝」によると、北斎の母親は赤穂事件に登場する吉良方の剣客、小林平八郎の娘で、鏡師中島伊勢に嫁いでいるとしている。この話は、北斎自身が広めたようです。 |
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