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小説家二葉亭四迷(1864〜1909)が、明治13年(1880)7月から1年間、東京外国語学校ロシア語科に入学し寄宿舎に入るまで過ごしたところで、彼の父の実家である水野邸が建っていた。
四迷は本名を長谷川辰之助といい、尾張藩士の子として市谷本村町の尾張徳川家上屋敷(現在の自衛隊駐屯地)の中で生まれた。
少年期に、政治色の濃いロシア文学の影響を受け、東京外国語学校ロシア語科に入学するが後に中退し、坪内逍遙の指導で創作を始める。
明治20年(1887)に、言文一致体の文章による日本で最初の小説『浮雲』を発表し、さらに『あひびき』『めぐりあひ』などのロシア文学を翻訳するなど、日本の近代文学建設の先駆けとなった。
明治41年(1908)に朝日新聞の特派員として渡露するが、翌年、帰国の途中病死した。 |
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染井霊園(東京都豊島区駒込にある都営霊園)にある二葉亭四迷(長谷川辰之助)の墓。 |
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