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国木田独歩は、明治4年(1871)銚子に生まれ、同29年ここに移り住み、名作「武蔵野」の構想を練った。また、「源叔父」「欺かざる記」もここで執筆したが、翌30年6月麹町に移った。(碑の説明文)
国木田独歩の本名は哲夫です。東京専門学校(現早稲田大学)に学び、雑誌の編集や教師を経て、明治27年、国民新聞記者として従軍する。その後、佐々城信子と結婚したが、半年で離婚し、手記「欺かざるの記」をだす。明治30年、詩集「抒情詩」を出版し、また「源おぢ」「忘れえぬ人々」「春の鳥」などで浪漫的抒情文学、浪漫主義の作品を発表する。晩年は「窮死」「竹の木戸」などで自然主義作家として評価された。明治41年(1908)肺結核で亡くなる。36歳だった。 |
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国木田独歩は、晩年の数年間は肺結核を患い、湯河原温泉の「中西屋」(現在は廃業)に3回も来て、「湯ケ原より」「恋を恋する人」「湯ケ原ゆき」の短編小説を書いている。「湯ケ原ゆき」(明治40年7月)の末尾は、次のような一文で終る。「日は暮れかかって雨は益々強くなった。山々は、悉く雲に埋れて僅かに其麓を現すばかり、我々が門川で下りて、更に人力車(くるま)に乗りかへ、湯ケ原の渓谷に向った時は、さながら雲深く分け入る思があった。」下線の部分が文学碑に刻まれ、昭和11年6月23日、独歩の30年忌に現在の湯河原万葉公園内に建てられた。
(泰山木さんより *万葉公園 JR湯河原駅より路線バス10分「落合橋」下車。)
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国木田独歩は、若くしてなくなったが、すばらしい文学作品を残してくれた。本当にありがたい。私は、なにか俗世間のことでむしゃくしゃすることがあると、よく独歩の作品を読むことにしている。そうすると不思議にさわやかな気分に充たされているいる自分を発見するのだ。ありがとう独歩。独歩の思想なり哲学をまとめてみたいと思っているが、こんなちいさい了見の自分にとらえることができるかなと謙虚な気持ちをもって取り組みたい。原優治 |
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