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<志賀直哉居住の跡>
志賀直哉の父、直温(なおはる)が、家族とともにここに移り住んだのは、明治30年(1897)、直哉14歳の時であった。当時の屋敷は1682坪(5550.6u)もあり、雑木林の趣さえうかがえる広大なものだった。
直哉は、ここで29歳まで、人間形成の最も重要な青春時代を過ごした。そして、この間、処女作である「在る朝」をはじめ「網走まで」「正義派」「大津順吉」などの初期の名作を生み出している。作品の中には当時の父とのいきさつを扱ったものや、「剃刀」(かみそり)「自転車」のようにこの土地にかかわりのあるものがみられる。
なお、当時の家屋は、昭和20年(1945)の戦災で全焼した。現在、跡地から東京ミッドタウンが近くにそびえている。 |
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<志賀直哉・旧居>
志賀直哉が大正元年(1912)年11月から約1年間を過ごした三軒棟割長屋である。部屋は6畳と3畳の2間と台所と便所の質素な造りある。ここで代表作である『暗夜行路』の草稿が書かれた。
この家は高台にあるので、眼下には尾道水道の美しい景色が展開している。尾道は坂の町だから、少し上がっていけば、景色は開けてくる。尾道水道は穏やかである。(広島県尾道市) |
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