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山内一豊の妻は、弘治3年(1557)に生まれ、通称千代といわれているが、これを裏付ける確かな資料はない。出身についても通説では近江国(滋賀県)浅井氏の家臣若宮友興の娘とされているが、近年では美濃国(岐阜県)八幡城主遠藤氏の娘ともいわれている。
幼い頃父を失い、17、8歳の頃一豊と結婚、貧しい暮らしの中で家を守り、戦いに明け暮れる一豊の出世を助けた逸話が残されている。中でも結婚の時持参した10両の金を出して一豊に名馬を買わせ、それが織田信長の目にとまって出世の糸口になった逸話は広く知られている。
また、関ヶ原の戦いの前に、笠の緒に縒りこめた手紙で関東にいる一豊に大坂方の情報を知らせ、その進路を決定づけさせたことが一豊の土佐一国領主への道を開くことになった。手芸や文筆にもすぐれ、賢夫人として知られている。元和3年(1617)12月4日、京都で没、61歳。法号見性院。(この銅像は昭和40年(1965)2月26日に除幕された。) |
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