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第2次世界大戦前の日本を代表する国際人・教育者であり、「五千円紙幣」の肖像としても知られる新渡戸稲造博士(1862〜1933)は、明治14年(1881)、二期生として札幌農学校を卒業した。博士にとって札幌は、キリスト教に基礎をおく人格と、広い教養を身につけた「精神的誕生地」である。卒業後の一時期、開拓使御用掛に籍を置き、黎明期の北海道開拓に力を尽くしたが、学問への情熱断ちがたく、明治16年(1883)、東京大学に再入学した。さらに、アメリカ、ドイツに留学し、米国人の妻・メリー夫人を伴って帰国した博士は、明治24年(1891)から7年間、母校の札幌農学校教授として、当時閉校の危機にあった農学校の立て直しと学制改革に尽力し、のちの北海道大学の基礎を築いた。
勤労青少年のための教育施設である遠友夜学校の創設(明治27年<1894>)も、農学校教授時代の貴重な遺産である。
その後、博士は京都帝国大学教授、第一高等学校校長、東京帝国大学教授、東京女子大学学長などを歴任し、人格、社会性、教養を重視した教育によって戦前・戦後の教育界に多大な影響を与えた。さらに、名著『武士道』による日本の精神文化の紹介、国際連盟事務次長としての平和文化活動は、博士の名声を国際的に高めることになった。
この顕彰碑は、北海道大学が札幌農学校創立から数えて120年を迎えるのを記念し、卒業生を中心とした数千人の篤志家の浄財によって建立された。碑文の一句は、博士の英文著作から引用した。「太平洋の橋になたん」とした、若き日の理想を語ったものであり、サインは直筆である。(1996年10月7日) |
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