|
|
<豊田佐吉の生家>
この生家で豊田佐吉が誕生し、後にトヨタ自動車を創設した佐吉の長男、豊田喜一郎もここで生まれた。
東側の一段高い竹藪のところに、江戸時代に建てられていたものを、平成2年(1990)10月に復元した。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
豊田佐吉は、慶応3年(1867)2月14日、この地に生まれた。
ここには、佐吉の生家が当時に近い形で復元されており、また、佐吉が40才の頃、両親のために建てた母屋、物置が現存し、佐吉に関連した資料も収集されている。
この他、若い頃研究に没頭した納屋や、少年時代に遊んだ裏山なども、できるだけ当時の姿で残るよう配慮されており、屋敷全体が、「発明王」豊田佐吉の生い立ちや業績などを、十分うかがえる資料館として保存されている。 |
|
|
|
|
|
<納屋>
佐吉が研究を始めた頃、父親に隠れて研究をしていた小屋。元屋敷(佐吉生家跡)の奥に建っていたものを現在地に移したといわれている。
佐吉は大工修行に出された先で夜なべして手織機(ハタゴ)の研究、考案を重ねて構想図にまとめた。それに基づき、組み立てては壊すことの繰り返しだった。 |
|
|
|
|
|
<井戸(水道)>
佐吉は山の清水を生活用水として使うため、ここにパイプを通し、杉の葉、小石、砂などでろ過槽を作った。市の水道が引かれるまで実際に使われていた。現在も手直しをして水を流している。
<ひのき林>
佐吉の父親の伊吉が植えたひのき林。戦時中には一部が切り倒された。松の木も沢山あったが、松やにを取るため幹に傷をつけたので、当時の松は全て枯れてしまった。 |
|
|
|
|
|
<墓地>
豊田家の先祖の墓。通常は「山の墓」と呼んでいる。豊田家は安永4年(1775)善修院妙脱日勝大姉で絶えたので、佐原伊吉(佐吉の父親)が継承することになった。
豊田家の先祖代々の墓は妙立寺にあり、大正14年(1925)に佐吉が再建した。
<元屋敷(佐吉生家跡)>
佐吉の父親の伊吉が佐原家から独立して、豊田家を継いで住んだ所。ここに伊吉・えい夫妻が住み、佐吉、平吉、はんが生まれ、喜一郎もここで生まれた。 |
|
|
|
<展望台>
浜名湖をのぞみ、晴れた日には富士山も眺められる。佐吉の長男 喜一郎は子どもの頃、この場所でよく遊んだ。その時にあった大きな松は今はない。 |
|
|
|
|
|
<山口観音堂>
生家の近くにある山口観音堂。少年時代から知識欲が旺盛だった佐吉は。「これからの時代は勉強をしなければ」とその必要性を説き、村の青年を集め、村はずれの観音堂を借りて夜学会を開いた。
この頃、各国でベストセラーになった「自助論」は、明治4年(1871)「西国立志編」として翻訳刊行され、「天は自ら助くるものを助く」の自助精神は、多くの若者に深い感銘を与え、佐吉も若かりし頃この観音堂で仲間とともに輪読し、将来に思いをめぐらしていた。雪が降ろうが雨が降ろうが、どんなことがあっても1日も休まないと誓い、毎晩、時には朝まで夜学会は続けられたということです。 |
|
|
|
|
|
<豊田綱領>
一、上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし。
一、研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし。
一、華美を戒め、質実剛健たるべし。
一、温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし。
一、神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし。 |
|
|
|
|
|
|
○豊田式木製人力織機 明治23年(1890)上左画像
佐吉が発明した最初の織機。それまで両手で織っていたものを、片手でおさを前後させるだけで、シャットルも左右に走るように改良し、4〜5割も速く織れるようになった。 |
○糸繰返機(足踏み式) 明治27年(1894)上右画像 |
|
|
|
○木鉄混製動力織機 明治29年(1896)
佐吉が発明を志した当初から目指した、日本で最初の動力織機です。1人で3〜4台も運転ができて生産性が20倍も上がり、織物の品質も非常に良く、大変高評を得た。 |
|
|
|
|
○G型自動織機 大正13年(11924)
佐吉が究極の目標に定め、当時、世界で最高性能の安全なる自動織機として完成させた織機。この発明、完成は、日本における産業近代化の先駆けの一端をなし、また世界的に認められ、当時のトップメーカーであったイギリスのプラット社へ100万円で特許権を譲渡した。これを資金に国産自動車の研究開発が進められた。 |
<豊田佐吉・略歴>
慶応3年(1867)、現在の湖西市山口に大工・伊吉の子として生まれる。明治23年(1890)最初の発明「豊田式木製人力織機」を完成させ、翌明治24年にこの「豊田式木製人力織機」で初めての特許を取得する。その後も、かせくり機、木鋳混製動力織機を発明するなどしていった。明治35年(1902)豊田商会、明治44年(1911)豊田自動織布工場、大正7年(1918)豊田紡織株式会社、大正15年(1926)株式会社豊田自動織機製作所を設立していった。昭和5年(1930)病気のため逝去。
「日本の偉大なる発明者10人」に選ばれ、政府から特別顕彰されている。
トヨタは佐吉の後、息子の豊田喜一郎が継いでトヨタ自動車を創業し現在に至っている。
<豊田佐吉記念館>
豊田佐吉記念館は、トヨタグループ創業者 豊田佐吉の生誕120年を記念して、佐吉の生誕地に1988年に開館した。佐吉の生家を中心に、佐吉が発明した数々の自動織機やゆかりの品々を展示している。 |