1862年 |
美濃国岩村藩士の子として、岩村藩江戸藩邸に生まれる。 |
1868年 |
7歳のとき、家族で岩村に移り、岩村城下の熊洞に住む。 |
1872年 |
11歳のとき、父友衛が急死。翌年、三国湊(現福井県坂井市三国町)の母方の伯父のところに預けられる。 |
1877年 |
石川県第三師範学校に入学。79年に卒業すると岩村に戻り、18歳で土岐小学校の教員、また校長として授業や学校の運営にあたる。このときの授業の内容を「授業日誌」にまとめ、記録する。 |
1882年 |
東京大学予備門に合格。85年に東京大学理学部生物学科に入学。卒業後は大学院に進学し、植物学の研究を続ける。 |
1891年 |
国の留学生としてドイツに留学。95年帰国後、東京大学教授となり、理学博士の学位を受ける。「生態学」という言葉を日本で初めて使用。矢野ミツと結婚。 |
1902年 |
植物生態美観」「景観」という言葉を初めて使用。 |
1906年 |
東京植物学会(1932年、日本植物学会と改称)会長に就任し、「天然記念物保存の必要性」の世論喚起の先頭に立つ。 |
1910年 |
天然記念物保存についての提議を行い、保護制度の実現と指定対象の調査、選定に努力し、植物と自然景観の保護に力を尽くす。明治天皇の御前で、花菖蒲の進化について講演する。 |
1919年 |
「史蹟名勝天然紀念物保存法」公布。調査委員となる。 |
1921年 |
「櫻花図譜」「櫻花概説」「花菖蒲図譜」「花菖蒲解説」をまとめる。 |
1922年 |
東京大学付属小石川植物園長に就任。アインシュタイン博士の接待委員を務める。 |
1939年 |
5月11日、急性肺炎のため、77歳の生涯を閉じる。 |
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1974年 |
岩村町歴史資料館で「三好学展」開催。 |
1988年 |
城山登り口付近に菖蒲園などがある城址公園が完成。 |
1993年 |
岩村町が「授業日誌」復刻。歴史資料館で「三好学特別展」開催。 |
1996年 |
岩村町が「授業日誌 下」を復刻。 |
2004年 |
岩村町が城址公園花菖蒲園に銅像を建立。 |
2012年 |
生誕150年を記念し、信条と私たちの願いを「環境があって、そこに人間が存在する」という言葉に込め、銅像脇に石碑を建立。 |