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金子みすゞは明治36年(1903年)に仙崎(現在は長門市)で生まれる。本名金子テル。26歳の時、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺をする。死去するまでに500余編もの詩を綴ったとされる。
代表作には「私と小鳥と鈴と」や「大漁」などがある。
<私と小鳥と鈴と>
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。
私が体をゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい |
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<井戸ばたで>
お母さまは、お洗濯、
たらいの中をみていたら、
しゃぼんの泡にたくさんの、
ちいさなお空が光ってて、
ちいさな私がのぞいてる。
こんなに小さくなれるのよ、
こんなにたくさんになれるのよ、
私は魔法つかいなの。
何かいいことして遊ぼ、
つるべの縄に蜂がいる、
私も蜂になってあすぼ。
ふっと、見えなくなったって、
母さま、心配しないでね、
ここの、この空飛ぶだけよ。
こんなに青い、青ぞらが、
わたしの羽に触るのは、
どんなに、どんなに、いい気持。
つかれりゃ、そこの石竹の、
花にとまって蜜吸って、
花のおはなしきいてるの。
ちいさい蜂にならなけりゃ、
とても聞けぬおはなしを、
日暮れまででも、きいてるの。
なんだか蜂になったよう、
なんだかお空を飛んだよう、
とても嬉しくなりました。 |
<我が家の庭>
私の家のにわは、極めてせまいものである。けれども此のせまい所にも、 日光は同じようにさしこんで、四季おりおりの花を咲かせている。
此頃は花 盛りである。正面に女王のような、大きなばらの花が高からぬ木一ぱいに咲 きほこっている。其のとなりには、上品な芍薬が最早終りごろのしおらしい姿を見せている。こちらには白や赤の可愛らしい石竹が今を盛りと咲きみだれ、金銀草までがまけん気になつて、小さな白い花を開いた。夏になると蝉
の宿になる高い木も、生々した青葉になつて、初夏らしい気分を見せている。
私はヘやでぬい物をしながら、庭を眺めて、国語の吾が家の富という課を思 ひ出していた。 |
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金子みすゞの実家跡に「金子文英堂」を再現した建物が「金子みすゞ記念館」です。遺稿集や着物などの遺品を展示した展示室やみすゞギャラリーなどがある。みすずの幼少期の生活の有様やみすゞの生涯、生きてきた時代をうかがい知ることができる。
<大漁>
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(いわし)
大漁だ。
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何萬(まん)の
鰮のとむらい
するだろう。 |
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