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室町幕府「第一の家格」として三管領筆頭だった斯波義将(しばよしまさ:1350〜1410)は、宮中御所等を守護していた兵衛府の唐名をとって武衛と呼ばれていた。斯波氏が、室町通り勘解油(かでの)小路に邸宅を構えたため「かでのこうじ殿」と呼ばれることもあったが、いつしかこの地と邸宅は、武衛の名をとって武衛陣と呼称されるようになった。武衛陣は、応仁の乱で戦火に遭い焼失したが、遺址付近は現在も武衛陣町と呼ばれている。
後年、室町幕府第13代将軍足利義輝(1536〜65)が当地に邸宅を構えて政務をとった。しかし永禄8年(1565)松永久秀らに襲撃され死去、邸宅も焼失した。
永禄12年(1569)、織田信長が武衛陣跡地を拡張し、室町幕府最後の将軍足利義昭(1537〜97)のための旧二条城を建設した。
維新後の明治28年(1895)、この「武衛陣・旧二条城」跡地に、平安女学院が大阪の川口居留地より移転し、今日に至る。平安女学院の英語名であるセント・アグネス・スクール(St.Agnes’Scool)のセント・アグネスは、紀元305年ローマ皇帝の迫害により13歳のうら若き身をもって殉教の死を遂げた少女の名である。その後、セント・アグネスは、全世界の信徒より「少女の守護聖人」として崇められている。
守護を司った斯波氏武衛陣と守護聖人アグネスを校名として掲げる平安女学院は、奇しくも同じ場所に建てられている。 |
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