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柳馬場三条下ルのこの付は、のちの坂本龍馬の妻お龍(鞆)の実家跡です。お龍は、青蓮院宮に仕える内・外科医、楢崎将作の長女です。天保12年(1841)に富小路六角付近で誕生し、しばらくしてこの地に移り住んだと思われる。
お龍には、父母のほか、弟妹が4人もいたが、家事を任されることもなく、華道、香道、茶道などのおけいこごとに専念できたようです。父在世中は、いわば良家のお嬢様として裕福に暮らしていたといえる。
文久2年(1862)6月20日、父楢崎将作がなくなると、一家の生活は一変する。長男太一郎はまだ幼少で、亡父に代わって家族を養うことがきでず、とうとう一家はばらばらになる。
お龍とは別行動をとった母貞と末妹の君江は、洛東大仏方広寺南門(現三十三間堂南大門)前の河原屋五兵衛(もしくは五郎兵衛)の隠居所に居住する土佐亡命志士の賄いのため住み込みで働く。ここに龍馬が住んでいた。これが龍馬とお龍の出会うきっかけとなる。
龍馬はお龍を紹介した姉乙女宛ての手紙に、さまざまな彼女の個性を記し、「まことにおもしろき女」と評価した。
龍馬が愛したお龍の人格が形成された場所、それは父の死まで一家団欒をすごしたこの地であったに違いありません。
以上の理由から、当地を龍馬に関する重要史跡とし石碑を建立するものです。
歴史地理研究者 中村武生 |
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