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良正院(りょうしょういん)門前にある「戦友」の歌碑は、作詞者・真下飛泉(ましもひせん)の教え子1824人が顕彰して昭和2年(1927)建立した。真下が一時、良正院に身を寄せていた縁から石碑がある。
「戦友」は明治38年(1905)に発表された歌で、日露戦争の頃です。軍歌ではあるが、戦意高揚をはかるというより、亡き戦友への鎮魂歌であったようである。聞いていて何となく哀愁を感じる。軍部は厭戦気分をあおるものとして歌うことを禁止したと誰かから聞いた覚えがある。
文字は「肉弾」等の著者桜井忠温である。終戦後歌詞が軍国調であるとして進駐軍より破壊を命ぜられたが、当時の住職細井照道師の弁護により破壊を免れ、今ここに在る。
真下飛泉は、明治11年(1878)、京都府加佐郡河守町(現福知山市大江町)の農家二男に生まれる。本名は瀧吉。
明治26年(1893)、河西村立公庄尋常小学校准教員候補者として赴任。
明治28年(1985)、京都府尋常師範学校に入学。
明治32年(1899)、京都市有済尋常小学校訓導。
明治36年(1903)、結婚。
明治37年(1904)、唱歌劇「出征」を発表。
明治38年(1905)、歌集「戦友」を出版。
明治43年(1920)、京都市修道尋常小学校訓導兼校長。
大正 6年(1917)、京都市尚徳尋常小学校訓導兼校長。
大正12年(1923)、京都市成逸尋常小学校訓導兼校長。
大正13年(1924)、私立東山中学校教諭。
大正14年(1925)、京都市議会議員当選。
大正15年(1926)、逝去(享年48歳)
<戦友> 作詞:真下飛泉 作曲:三善和気
1)ここは御国を何百里 離れて遠き満州の
赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下
2)思えば悲し昨日まで 真っ先駆けて突進し
敵をさんざん懲らしたる 勇士はここに眠れるか
3)ああ戦いの最中に 隣に居ったこの友の
にわかにはたと倒れしを 我は思わず駆け寄りて
4)軍律厳しい中なれど これが見捨てておかりょうか
しっかりせよと抱き起こし 仮包帯も弾の中
5)おりから起こる吶喊に 友はようよう顔上げて
御国のためだかまわずに 遅れてくれなと目に涙
6)あとに心は残れども 残しちゃならぬこの体
それじゃ行くよと別れたが 永の別れとなったのか
7)戦い済んで日が暮れて 探しに戻る心では
どうぞ生きていてくれと 物なと言えと願うたに
8)虚しく冷えて魂は 国へ帰ったポケットに
時計ばかりがコチコチと 動いているのも情けなや
9)思えば去年船出して 御国が見えずなった時
玄界灘に手を握り 名を名乗ったが始めにて
10)それより後は一本の 煙草も二人分けてのみ
着いた手紙も見せ合うて 身の上話繰り返し
11)肩を抱いては口癖に どうせ命はないものよ
死んだら骨を頼むぞと 言い交わしたる二人仲
12)思いもよらず我一人 不思議に命永らえて
赤い夕陽の満州に 友の塚穴掘ろうとは
13)隈なく晴れた月今宵 心しみじみ筆とって
友の最期をこまごまと 親御へ送るこの手紙
14)筆の運びは拙いが 行燈の陰で親たちの
読まるる心思いやり 思わず落とすひとしずく
<良正院>
知恩院の塔頭。岡山藩主池田忠雄の母、良正院(徳川家康の娘とく姫、池田輝政夫人)の追福の為、徳川秀忠の許を得て宗把和尚を開基として寛永8年(1631)建立された。廊下は鶯張りで金箔襖絵は重要文化財の指定を受ける。勤王の志士奥田萬次郎が自刃したのは、竹の間である。 |
出兵から勲章までの歌詞を教えて下さい。興味を持って調べています。以前は、小学校の学芸会で演じられたと記載されていました。緒方雅朋
<管理人より>
「出征」
父上母上いざさらば わたしはいくさに行きまする
隣家に居った馬さへも 徴発されて行ったのに
わたしは人と生れきて 而かも男子とあるものが
お国の為めの御奉公は いつであろうと待つうちに
昨日とゞいた赤だすき かけて勇んで行きまする
行くは旅順か奉天か いづこの空か知らないが
お天子様の為じゃもの 討死するはあたりまへ
父上母上いざさらば これが此世のいとまごひ
お二人樣も妹も どうぞ御無事と声くもり
顏見合せて一雫 さすがに涙が袖ぬらす
思へば永の御養育 いつの世にかは忘れましよ
大きうなつた此からだ よし孝行はせなんだが
お天子様へ御奉公 忠義をしたと一言葉
死んだあとでも私を ほめて下され頼みます
若しも運よう生き残り お国へ帰る事あらば
死んだに勝るてがらをば きつと御覽に入れまする
いきると死ぬは時の運 決してないて下さるな
父上あなたは御老体 山や畑のおしごとも
どうぞ御無理をなさらずに 朝晩おやすみ願ひます
母上あなたは病気がち がまんなさらず御養生
オゝ妹よお二人を 大事に孝行頼むぞや
父上母上いざゝらば 妹よさらばと立あがる
かどには村の人達が 旗やのぼりをさしたてゝ
村一番の武雄どの 達者で戦争なされよと
手をふりあげて声そろへ 万歳万歳万々歳
(ネットに掲載されていたものを転載します) |
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