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怪談「耳なし芳一」「雪女」や「知られざる日本の面影」など数々の作品で日本を紹介し、日本の理解者だった小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが、明治24年(1891)5月から11月までの6カ月間、夫人とすごした家です。
ハーンは明治23年(1890)8月、島根県尋常中学校の教師として赴任し、わずか1年3カ月後に熊本の第五高等学校へ転任しましたが、松江在住中に小泉セツと結婚し、出雲の地に日本の伝統文化を見出して、持ちまえの探求心から日本の伝統文化の研究にとり組みました。
その著作の多くはこの家で書かれ、あるいはヒントを得たものでした。旧居は平屋建瓦ぶきの日本家屋で、今から約200年前の享保年間禄高500石未満の士族の屋敷として建てられたものです。ハーンは三方に庭が見える左側の3室を主に使っていました。部屋の置物や庭木などは持主の根岸家の努力で当時のまま保存されています。(小泉八雲旧居・記念館HPより引用)
庭のある侍の屋敷に住みたいという願いがあり、旧松江藩士の武家屋敷に住む。当時のまま保存されている。(国史跡) |
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次は、焼津の「小泉八雲避暑の家」である |
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<小泉八雲避暑の家>
小泉八雲(1850〜1904)は、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた。アイルランドで教育を受けた後、アメリカで新聞記者などを経て、明治23年(1890)に来日し、英語教師として松江中学校を始め各地へ赴任した。明治29年(1896)に日本に帰化し、同年東京帝国大学に招かれ教鞭をとるようになると、毎年夏を焼津(静岡県焼津市)で過ごすようになった。
この家は魚屋の山口乙吉の家で、1階に通り土間を備えた典型的な町屋である。八雲は「乙吉の達磨」「焼津にて」「漂流」など焼津を題材とした小説を遺している。登録有形文化財。
旧所在地:静岡県焼津市城之腰
建設年 |
明治初年 |
解体年 |
昭和43年(1968) |
移築年 |
昭和46年(1971) |
建築面積 |
20.5坪 |
構造 |
木造二階建 |
寄贈者 |
天野庄平 |
(博物館明治村(愛知県犬山市)にて撮影する)
<八雲と焼津>
八雲が焼津へ避暑に行くようになったのは、東京に住んでからである。水泳が好きな八雲は、焼津の深くて荒い海を気に入ったのである。
東京では寸暇を惜しんで執筆活動をしていた八雲だが、焼津では、長男一雄の勉強をみたり、東京に残る妻節子へ手紙を書いたり、何よりも散歩や水泳を好んだ。そして、滞在する山口家の当主山口乙吉をはじめとする焼津の人々に魅力を感じて、焼津を一層気に入り、毎年のように通ったのである。 |
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