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共に生きる |
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<笑門来福>
翔子さんは時々、解らぬ事をする。きっとお母さんが「これ書いてみたら……」と言っているのであろう。それに対する反応がこれである。
この「笑」にはおそれいった。想像外である。余白の取り方が凄い。どこから、こんな発想が生まれるのであろうか。
平成21年(2009) 23歳作
<作品解説>
作品解説は、常設作品や一部の作品を除き、金澤翔子さんの書の師匠であり、日本を代表する書家「柳田泰山」先生が行っている。翔子さんの書を、近くで見てきた先生だからできる解説である。 |
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<五郎太石>
自然の川の流れの中で、何十年もかけて石が丸くなってくる。そんな解釈もいいのではないでしょうか。翔子さんはタオイズム(道に添って無為自然に明るく楽しく豊かに生きてゆく生き方)の世界にいます。自然に身を任せ、あるがままに生きていく。
平成27年(2015) 29歳作 |
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<魂魄>
これは以前からお母様が、柳田楷法で書かせたいと希望し、しっかりとした楷書で書かせたようです。隙のない緻密な楷法と感じた。「書」は練習すればするほど間違いなく上達する。
平成28年(2016) 30歳作 |
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<大哉心乎>
京都・建仁寺を開山した栄西禅師の言葉です。人の心は本来自由で大らかである」翔子さんにももともと相応しい言葉でした。そして、お母さんがこよなく大切にした言葉ででもある。
平成28年(2016) 30歳作 |
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<不死鳥>
翔子さんが生まれたとき、お母様は「この子と一緒に死のう」と思ったそうです。それから30年経ち、今は不死鳥の如く羽ばたいている。
平成28年(2016) 30歳作 |
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<希望>
翔子ちゃんの「書」は人々に希望を与えている。老若男女問わず、世界の人々まで感動の渦に巻き込む。小さな一輪の花から大輪、そして種を色々な所に撒いている。その「書」には無限の力がある。
平成28年(2016) 30歳作 |
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<鐵牛之機>
鐵牛之機(てつぎゅうのき)は確固不動にして大活用をなす達人の霊気を言う。いずれも碧巌録よりの引用です。翔子さんは「牛」しか見えなかった様子だった。
平成24年(2012) 26歳作 |
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<龍翔鳳舞>
この語句は何回書いたのか……。実は柳田流は、しばしば「龍」を「書」にしている。泰雪先生(三代目)泰山先生(四代目)もあらゆる書体でこの「龍」を書き続けている。それを翔子さんも受け継いでいる事が素晴らしいのです。
平成27年(2015) 29歳作 |
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<春・夏・秋・冬>
この詩は誰もが理解されるような内容です。以前に翔子さんを冷やかして「秋春冬夏」と言ったり、「秋春夏冬」と言ったりすると、真顔で「違うよ、春夏秋冬だよ」と国語辞典を持ってきて私に見せてくれる。
平成27年(2015) 29歳作 |
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<壽至蓬莱不老仙>(じゅはいたる ほうらい ふろうのせん)
「蓬莱山の不老不死の仙人の壽を授からんことを祈る」という意味。不老長寿の話。
翔子さんにとっては難解である。そこはお母さんの知恵を借りて「翔子、中国の山に髭の長いお爺さんがいるでしょっ……」お母さんは、ありとあらゆる手を使って、娘に教えている。微笑ましい光景でもある。
平成21年(2009) 23歳作 |
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<截断衆流>(せつだんしゅる)
截断衆流は一切の煩悩をきっぱりと断ちきる意です。然し、翔子さんはどんな内容であっても、お母さんを信じて書いている。それこそ「截断衆流」の精神です。
平成24年(2012) 26歳作 |
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<一期一會>
人生を重ねる度に、深くそして重く感じられる言葉である。翔子さんにとっての一期一會は、展覧会を開く度に新しい人々との出会いを楽しみにしている。また、「書」の一本一本の線にも一期一會がある事を忘れてはいけません。
平成21年(2009) 23歳作 |
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