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「死んではならん。どこまでも生きてゆけ。死んではならんぞ」
沈みゆく空母「瑞鶴」(ずいかく)の中、貝塚武男中将が、日本の将来を背負って立つであろう若い部下達に、退艦を命じた最期の言葉と言われている。
ここには、アジア・太平洋戦争期間中及び戦後、貝塚武男海軍中将家族の借家があった。築山部分は、その庭跡と推定される。太平洋戦争後半は艦船勤務が続き、あまる借家で過ごすことななかったと思われるが、束の間の帰宅の際、艦船勤務の疲れをこの庭を眺めながら癒やしていたかもしれない。
<貝塚武男>
佐倉市生まれ。海軍中将。アジア・太平洋戦争時の空母「瑞鶴」船長。レイテ沖海戦の一部であるエンカノ岬沖海戦にて戦死。ここからすぐ近くの寺院「大聖院」に墓がある。(1898〜1944) |
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