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<伊藤左千夫・生家>
伊藤左千夫は明治時代の歌人で、名は幸次郎という。元治元年(1864)8月18日に殿台(とのだい)のこの家で父良作の4男として生まれ、明治18年(1885)に上京するまで多感な青春時代をここで過ごした。
明治31年(1898)最初の歌論を発表して短歌革新を説いたが、正岡子規が「歌よみに與(あた)ふる書」を発表したのを契機としてしだいに子規に傾倒し、師事するようになった。子規没後は左千夫が中心となって「馬酔木」(あしび)・「アララギ」などの短歌雑誌を刊行した。
門下には島木赤彦、斎藤茂吉、古泉千樫、中村憲吉、土屋文明らがおり、大正から昭和を通じて歌壇の主流となった。歌集・歌論集のほか小説も著し、小説「野菊の墓」はその代表作として有名である。千葉県指定史跡になっている。(M.M
さんより) |
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