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北原白秋は明治18年(1885)1月25日、柳川市の沖端の造り酒屋を営む商家に長男として生まれた。白秋は中学伝習館(現高校)に学び早稲田大学英文科予科に入学。号を射水(しゃすい)と称し、若山牧水・中林蘇水らと早稲田の三水と称された。
明治42年(1909)、「邪宗門」をあらわし、その2年後に「思い出」が上梓されるや、たちまち世の賞賛 をあび、詩壇に確固たる地位を築き、近代日本の詩聖とうたわれるようになった。
生家は、明治34年(1901)の大火で大部分が焼失したが、明治44年(1911)11月、「北原白秋生家保存会 」により復元。白秋の文学資料や遺品を展示し、一般に公開を開始した。また昭和60年(1985)には、白秋生誕百年記念事業として敷地内に歴史民俗資料館(白秋記念館)を開館。
柳川の歴史・民俗から白秋の世界までを展示室ごとに構成した資料を公開し、白秋を深く理解する 上でも欠かせない資料館となっている。北原白秋生家は、昭和43年(1968)10月、福岡県史跡に指定された。 |
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白秋は上京するまでの19年間を柳川で過ごしているが、多感な少年時代を文化の薫り高い情緒豊かな風土の中で育ったことが、後の彼の作風に多大な影響を与えている。
近代日本の「詩聖」と謳われ多くに人に親しまれてきた白秋は、詩作にとどまらず短歌、童謡、民謡など幅広い分野で活躍し、57歳で亡くなるまで数多くの作品を世に送り出し日本近代文学に大きな足跡を残した。
水郷柳川を我が詩歌の母体としてして捉え、終生ふるさと柳川をこよなく愛し続けた「北原白秋」。今でもその熱い思いが伝わってきそうです。 |
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