写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <人物の足跡を巡る写真紀行

 印象深い景色
坂道 灯台
横丁・小路
街角 通り
温泉
 史 跡
街道 史跡
遺跡 人物
奥の細道 墓地・終焉地
Play Back 城・城跡
 建築・構造物
歴史的建造物 先端建築
神社
教会
漁港 垣根
防災施設
 自 然
山・峠
池・沼・湿原 海岸
 産業・交通
伝統・地場産業 バスターミナル
自動車・バイク
国内線 道風景
航空機
 四季の景色
棚田 桜紀行
春景色 夏景色
秋景色 冬景色
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台 祭・イベント
夜景 テ−マパ−ク
趣味悠々 食紀行
日曜画家  
 管理人
管理人備忘録 四国遍路
リンク集

久坂玄瑞 久坂玄瑞誕生地   山口県萩市
久坂玄瑞誕生地
久坂玄瑞進撃の像 久坂玄瑞誕生地
久坂玄瑞誕生地
 幕末の志士。この地に出生。明倫館に入り、のち医学館で学ぶが、医業を好まず吉田松陰に学んで高杉晋作と共に松下村塾の双璧と称された。
 長井雅楽(ながいうた)の航海遠略策に反対し、藩論を尊攘討幕に一変させ、攘夷督促勅使東下の奏請に奔走、英国公使館の焼打に下関の外国船砲撃に参加した。元治元年(1864)蛤御門の変に敗れ、鷹司邸内で自刀した。享年25。
坂本龍馬と久坂玄瑞
 文久2年(1862)1月14日、坂本龍馬は土佐勤王党首領武市瑞山の手紙を久坂玄瑞に届けるため萩を訪れた。
 龍馬は萩に9日間滞在する。その年の3月24日、龍馬は突然土佐を脱藩。そして薩長同盟、大政奉還など歴史に残る偉業を成し遂げてゆく。 
 一体、萩で何があったというのか。
 幕末欧米列強はアジア各地を植民地とし、日本の独立も危ぶまれていた。久坂玄瑞は長州藩を訪れた龍馬に、師・吉田松陰の草莽崛起論(そうもうくっきろん)を説く。
 「ついに諸侯(諸大名)恃(たの)むに足らず。公卿恃むに足らず。在野の草莽糾合、義挙の外はとても策これ無し……失敬ながら尊藩(土佐)も弊藩(長州)滅亡しても大義なれば苦しからず」。
 日本を変革するのは草の根に隠れている自分たちで、そのためなら藩は滅んでも構わぬという凄まじい決意であった。そして龍馬はこの直後、土佐を脱藩してしまった。萩には今も、人々の魂を奮い立たせる何かがある。
久坂義助の霊にたむけて>    實美
  九重のみはしのちりをはらはむと
      こゝろも身をもうちくたきたる
                公爵 三條公輝書
人物
伊藤左千夫 緒方洪庵 上野彦馬 井上良馨 板垣退助
大山巌 大久保利通 伊藤博文 青木周弼 ヴォーリズ
芥川龍之介 愛新覚羅溥傑・浩 お龍 大石瀬左衛門 井伊共保
足利義輝 岩崎弥太郎 大隈重信
亀井勝一郎 クラーク博士 国木田独歩 金田一京助・春彦 幸田露伴
賀茂真淵 金原明善 楠部弥弌 小泉八雲 木戸孝允
黒田清輝 金子みすゞ 久坂玄瑞 桂 太郎 勝 海舟
片岡源五右衛門 釜鳴屋平七 狩野元信 貝塚武男 北原白秋
銭形平次 サトーハチロー 西郷従道 白井鐵造 清水次郎長
西園寺公望 志賀直哉 渋沢栄一 西郷隆盛 東海林太郎
島木赤彦 坂本龍馬 ジョン万次郎 佐藤春夫 下田歌子
佐藤一斎 下山順一郎 鈴木三重吉
徳富蘆花 徳田秋声 滝沢馬琴 谷崎潤一郎 武野紹鴎
高蛹虫沽Y 豊田佐吉 竹久夢二 高山彦九郎 徳川吉宗
高杉晋作 高杉晋作 療養の地 東郷平八郎 天璋院・篤姫 寅さん
玉木文之進 坪井九右衛門 田中義一 富岡鐵齋 田沼意次
新渡戸稲造 野口英世 新島襄 永井荷風 西田幾多郎
西周 永井隆 中島伊勢 中島 登
函館四天王 堀部安兵衛 二葉亭四迷 弘田龍太郎 林芙美子
文之和尚 本間精一郎 日野熊蔵
御木本幸吉 円山応挙 真下飛泉 森鴎外@ 森鴎外A
村田新八 正岡子規 森 寛斎 三善清行 宮沢賢治
モラエス 三好 学
吉田松陰 吉田稔麿 山縣有朋 山鹿素行 山内千代
ヤン・ヨーステン
蓮如上人 頼山陽 両津勘吉
渡邊蒿蔵
 
石川啄木 新婚の家 蓋平館別荘跡 函館居住地跡 赤心館跡
喜之床旧跡
坪内逍遙 誕生地 旧居跡
徳川家康 徳川家康(浜松) 徳川家康(静岡)
夏目漱石 誕生地 住宅 旧居跡
樋口一葉 樋口一葉 伊勢屋質店
その他 上野栄三郎とハチ公new

Copyright(c) 2002-2024 写真紀行 uchiyama.info All Rights Reserved.