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桂太郎は、弘化4年(1847)萩城下平安古に生まれ、3歳のときにこの川島へ移り住んだ。
藩校明倫館に学び、戊辰戦争では参謀として活躍した。明治維新後は陸軍に入り、明治31年(1898)に陸軍大臣となった。明治33年(1900)には現在の拓殖大学を創設し、国際社会で活躍できる人材の育成にも力を注いだ。
明治34年(1901)以来、3度、第11・13・15代の首相を務め、国事多難の時期に手腕を発揮し、日英同盟協約の締結時に日本を率いていた。首相在任2,886日は通算での最長記録。大正2年(1913)に67歳で没した。公爵。
現存する旧宅は、少年時代を過ごした他に、明治42年(1909)に新築されたものである。主屋は派手さを抑え、規模も比較的小さなもので、藍場川沿いの生活を穏やかに楽しむために作られている。藍場川の水を引き込んだ池泉庭園は、建物と同じ頃に造られたもので、懸石と呼ばれる萩地方独特の石組等に特徴がある。 |
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桂 太郎は、明治33年(1900)に現在の拓殖大学を創立した、本銅像は拓殖大学より、創立100周年を記念して、創立者桂太郎ゆかりの地である萩市に寄贈されたものである。
なお、この像は、大正3年(1914)6月に製作された拓殖大学の原像(彫刻家・武石弘三郎 作)を忠実に再現したものである。 |
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