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<伊藤博文旧宅>
この建物は、最初、永井武平衛(伊藤直右衛門)の居宅であったが、安政元(1854)に伊藤博文の父・林十蔵が伊藤家の養子となったため、一家をあげて居住した。ここで、博文は吉田松陰の門下に入って教育を受け、志士として活躍した。明治元年(1868)に兵庫県知事に赴任するまでここを本拠とした。
その後、明治憲法制定の任にあたってその功を遂げ、初代内閣総理大臣に就任するなどの要職を歴任した。
旧宅は、木造茅葺き平屋建ての約29坪の小さな家である。国指定文化財(史跡) |
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伊藤博文は、日露戦争後、初代韓国総監となり、明治42(1909)、枢密院議長として満州訪問の途上、ハルビン駅で安重根に狙撃された。享年69歳。
旧宅そばには、萩焼でつくられた伊藤博文の像が建っている。 |
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