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この家は、藩医(西洋内科)の蘭学者であった青木周弼(1803〜1863)の旧宅である。安政6年(1859)に建てられた家で、明治25年(1892)青木家から買って住まわれた安藤紀一氏(教師・郷土史家1865〜1935)があまり改造しないで保存された。そのため当時の様子をよく残している。
青木周弼は、大島郡和田町(現東和町)の医家に生まれ、毛利敬親の侍医や医学館の館長をつとめた。日本屈指の医師として全国的にも知られ、各地から集まった多くの弟子を育てた。また、村田蔵六(のちの大村益次郎)が萩藩に出仕した時には、親代わりとなり世話をした。 |
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後に青木家を継ぐ実弟・研蔵も長崎で最新の医学を学び、種痘の技術を初めて藩にもちかえり、天然痘を予防することに成功した。研蔵は明治2年(1869)に、明治天皇の大典医に任命された。 |
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