写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <人物の足跡を巡る写真紀行

 印象深い景色
坂道 灯台
横丁・小路
街角 通り
温泉
 史 跡
街道 史跡
遺跡 人物
奥の細道 墓地・終焉地
Play Back 城・城跡
 建築・構造物
歴史的建造物 先端建築
神社
教会
漁港 垣根
 自 然
池・沼・湿原 海岸
 産業・交通
伝統・地場産業 バスターミナル
自動車・バイク
国内線 道風景
航空機
 四季の景色
棚田 桜紀行
春景色 夏景色
秋景色 冬景色
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台 祭・イベント
夜景 テ−マパ−ク
趣味悠々 食紀行
日曜画家  
 管理人
管理人備忘録 四国遍路
リンク集

大石瀬左衛門信清 裏門隊   兵庫県赤穂市
大石瀬左衛門信清
大石瀬左衛門信清 大石瀬左衛門信清
大石瀬左衛門信清
 元禄14年3月14日の夜、瀬左衛門は原惣右衛門とともに早駕篭に乗り、主君浅野内匠頭長矩公切腹の報を、国許赤穂に伝えるため江戸を立った。主君刃傷の報はすでに同日夕方、早水藤左衛門、萱野三平による第一の急使が携え赤穂に向かっている。
 3月19日午後8時頃、主君切腹の報は、瀬左衛門と原惣右衛門によって赤穂城にもたらされた。
 瀬左衛門は、大石内蔵助とは遠い親戚で、祖父が内蔵助の曾祖父の弟にあたり、剣を潮田又之丞とともに、内蔵助の剣の師でもあり、東軍流の剣豪として知られていた奥村無我に学んだという。
 急使として赤穂に到着したのち、瀬左衛門はそのまま赤穂に留まって内蔵助に従ったが、城明け渡し後は京都に移り住み、元禄15年10月初旬には討ち入り決行のため、大石主税、小野寺十内、間瀬久太夫らとともに、江戸の入り、吉良方の偵察にあたった。
 討ち入りのときは、裏門隊に属し、細川家にお預けののち、吉田孫四郎の介錯で切腹した。 
 馬廻、150石、裏門隊、行年27歳。
人物
伊藤左千夫 緒方洪庵 上野彦馬 井上良馨 板垣退助
大山巌 大久保利通 伊藤博文 青木周弼 ヴォーリズ
芥川龍之介 愛新覚羅溥傑・浩 お龍 大石瀬左衛門 井伊共保
足利義輝 岩崎弥太郎 大隈重信
亀井勝一郎 クラーク博士 国木田独歩 金田一京助・春彦 幸田露伴
賀茂真淵 金原明善 楠部弥弌 小泉八雲 木戸孝允
黒田清輝 金子みすゞ 久坂玄瑞 桂 太郎 勝 海舟
片岡源五右衛門 釜鳴屋平七 狩野元信 貝塚武男 北原白秋
銭形平次 サトーハチロー 西郷従道 白井鐵造 清水次郎長
西園寺公望 志賀直哉 渋沢栄一 西郷隆盛 東海林太郎
島木赤彦 坂本龍馬 ジョン万次郎 佐藤春夫 下田歌子
佐藤一斎 下山順一郎 鈴木三重吉
徳富蘆花 徳田秋声 滝沢馬琴 谷崎潤一郎 武野紹鴎
高蛹虫沽Y 豊田佐吉 竹久夢二 高山彦九郎 徳川吉宗
高杉晋作 高杉晋作 療養の地 東郷平八郎 天璋院・篤姫 寅さん
玉木文之進 坪井九右衛門 田中義一 富岡鐵齋 田沼意次
新渡戸稲造 野口英世 新島襄 永井荷風 西田幾多郎
西周 永井隆 中島伊勢 中島 登
函館四天王 堀部安兵衛 二葉亭四迷 弘田龍太郎 林芙美子
文之和尚 本間精一郎 日野熊蔵
御木本幸吉 円山応挙 真下飛泉 森鴎外@ 森鴎外A
村田新八 正岡子規 森 寛斎 三善清行 宮沢賢治
モラエス 三好 学
吉田松陰 吉田稔麿 山縣有朋 山鹿素行 山内千代
ヤン・ヨーステン
蓮如上人 頼山陽 両津勘吉
渡邊蒿蔵
 
石川啄木 新婚の家 蓋平館別荘跡 函館居住地跡 赤心館跡
喜之床旧跡
坪内逍遙 誕生地 旧居跡
徳川家康 徳川家康(浜松) 徳川家康(静岡)
夏目漱石 誕生地 住宅 旧居跡
樋口一葉 樋口一葉 伊勢屋質店
その他 上野栄三郎とハチ公new

Copyright(c) 2002-2024 写真紀行 uchiyama.info All Rights Reserved.