|
|
|
|
|
|
若松城は、鶴ヶ城、会津若松城とも呼ばれている。地元では鶴ヶ城と呼んでいる。
南北朝の頃、葦名氏によって黒川城が築かれたが、文禄元年(1592)蒲生氏郷が七層の天守閣を建て外郭を築き、黒川の地を若松と改め城の名を鶴ヶ城と命名した。
上杉から再蒲生そして加藤となり寛永16年(1639)加藤明成が天守閣を五層にして北出丸、西出丸を増築して現在の城跡を完成させた。戊辰の役(1868)には1ヶ月の籠城に堪えた。
現在の天守は、昭和40年(1965)鉄筋コンクリート造により外観復興再建されたものである。天守閣の内部は若松城天守閣郷土博物館となっている。 |
|
|
|
<「あいずっこ宣言」>
「ならぬことは ならぬものです」共感を覚えます。 |
|