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徳川家康は、天正13年(1585)から駿府城を修築させ、4年間駿府に居たが江戸に移った。その後、慶長10年(1605)に将軍職を秀忠に譲り、隠居地として駿府を定めた。本格的な駿府城の築城はこの時からである。
城は、輪郭式で石垣を廻らせた三重の堀を持ち、本丸の北西には5層7階の勇壮な天守を配置した。大御所として居城した駿府は、江戸と共に大いに繁栄した。家康の死後、城主となった忠長が改易されると駿府城は城代の管理となった。
その後は火災によりほとんど建物が焼失してしまった。櫓、門等の建物は再建されたが天守は再建されなかった。以後、駿府城は次第に縮小していったのである。 |
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