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墨俣城 一夜城   岐阜県大垣市
墨俣城
墨俣城 墨俣城
 墨俣築城は、佐々成政の築いた遺構を利用して3昼夜で完成した。「一夜城」と呼ばれるのは築城工事がもっぱら夜間に行われ、朝の光に完成した姿を現したとき、前日までなかったものが突然出現したかのような印象を与えたためです。
 また白壁のかわりに麻布を貼りそれらしく見せるなど、藤吉郎の機転をたたえる意味も込められているようです。
 藤吉郎はこの功績により足軽鉄砲隊100人組の組頭から墨俣城を預かる城代となり、稲葉山城攻略にも大きな役割を演ずることになる。
 平成3年(1991)、この城跡に、当時の砦的な城ではなく、地域住民の永年の夢であった一般的な城郭天守の体裁を整えた墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)を建設した。
墨俣城 墨俣城
 墨俣築城について信長は、全てを藤吉郎に任せた。総勢2140人のうち信長から借り受けた兵は鉄砲隊わずか75人。大半は蜂須賀小六をはじめとする土豪集団だった。
 藤吉郎はこれを材木切り出しの資材部隊(運搬・築城が主体)と道具や食糧を確保し運ぶ戦闘部隊(戦闘が主体)の2隊に分けた。さらに山伏や行商人に変装した乱波(らっぱ)部隊を稲葉山城下に潜入させ、情報を流す任務に就かせた。
墨俣城・火縄銃 墨俣城・火縄銃
墨俣城・火縄銃
 藤吉郎は材木の切り出しから加工までの一貫した作業を速やかに行うため、それぞれの任務を割り当てることにした。七曽、八曽の山で城材を切り出し、合計一万数千本の材木を木曽川の急流へ一気に流す。下流の草井で陸揚げし、松倉に持ち込み、待っていた大工の棟梁たちが築城用に加工して、現場で組み立てられようにする。いわば現代でいうプレハブ工法です。乱波(今日のスパイ)には、これを「北伊勢攻めの準備」と偽の情報を流させ、他の部隊には材木を除く資材、道具などの調達や運搬の手はずを整えさせた。
墨俣城 墨俣城
出土した兜 鬼上車
墨俣城 墨俣城
藤づる
墨俣城 墨俣城
のろし玉  干飯
 永禄9年(1566)9月12日午前2時、尾北の夜空にのろしが上がり、総勢2千有余人が一斉に墨俣へ向かった。藤吉郎率いる鉄砲部隊、前野・蜂須賀党の戦闘部隊は木曽川を渡る。稲田大炊介率いる資材部隊は木曽川から境川へ資材を移し、長材を川舟に短材を田舟に積み、船を手綱で引きながら境川を下った。短材の一部は兵が担いで陸路を小熊村まで運び、正午過ぎには一部の人員と長材を除き、全てが墨俣に集まった。
墨俣城・馬柵
藤吉郎の馬柵
 永禄9年(1566)9月、墨俣築城において斎藤勢の騎馬を防ぐため、地上高さ一間、地中三尺、松桧材使用、藤づる二重巻きにて結び、城の周囲に二重に馬柵総数延長1800間をめぐらした。
ひょうたんの由来> 
 墨俣築城に成功した後、尾張と美濃の堺をなす十里の河(洲俣川)にたった一艘の船を浮かべて、木下藤吉郎と、弟・小一郎秀長、蜂須賀小六、前野長康 4人は瓢(ひさご)の酒を酌み交わしながら同盟の誓いを立てた。
 遥かに剣のような因幡山(稲葉山)の影が、川面に映っている
 この時、前野長康は呑み干した瓢を舟の竿に揚げ、私の一存で御大将木下藤吉郎殿の馬印としたい、と提案したのだ。
 その後、難攻不落の稲葉山が落城するのは、永禄10年(1567)8月15日。藤吉郎秀吉は30余艘の舟の分乗して、墨俣城より長良川を上り稲葉山水手谷道を一気に駆け上がり、搦手門より突入。この時、初めて、瓢の馬印を用いたのである。
墨俣城・馬柵
一夜城築城のこと
 木下藤吉郎の墨俣城築城は、太閤記、日本外史、新撰美濃史等多くの文献に見られるが、その概略を推測される範囲でしかない。昭和52年(1977)、愛知県江南市の文化財保護委員瀧善義氏により紹介された、同市前野の旧家吉田龍雲家所蔵の前野家古文書は、企画・準備・押出・戦略・構築の状況が具体的に記録され、一夜城の謎を解明する新しい史料として注目に値する。ここに、その一部を紹介する。
墨俣押出惣勢子
 一、前野小右衛門       三百拾二人
 一、日比野六太夫       弐百五拾人
 一、稲田大炊介       六百五拾六人
 一、山方衆 是は八曽衆七曽衆含むものなり
  一、河口久助        百五拾六人
  一、梶田隼人        百八拾七人
  一、長江半之丞      弐百弐拾ニ人
 一、草井舟頭衆         四拾八人
 一、犬山舟頭衆         七拾五人
 一、大工棟梁方         弐拾六人 一、
御大将  木下藤吉郎
            足軽鉄砲隊七拾五人
 一、蜂須賀彦右衛門
            手の者 百三拾三人
 鉄砲隊 青山新七殿
一、〆惣勢子   弐千百四拾人是有
 築城之事
 一、高ヤグラ  五棟 是は弐階にて高サ三間半
 一、平ヤグラ  三棟 是長屋也
            是は平屋也高サ弐間半
 一、土居 弐百五拾間 是は高サ壱間也
 一、高塀 百参拾六間 是は高サ五尺
 一、馬柵 壱千八百間 是は高サ壱間是有
 一、井戸 弐ヶ処
 一、堀  参百六拾間 是は川水を引き入れて
            深さ壱間半位 巾弐間
 一、殿様御屋敷 壱ヶ処
            是は横三間半 奥行弐間半
 一、棟梁 拾人
 一、下職       是は山家衆受
 一、木戸 弐ヶ処   大手一 搦手一
    右条々廻文通り
       ハチスカ彦右衛門殿
     永禄九年七月三日
(同年九月十二日昼は馬柵、夜は築城工事を戦いつつ進め、九月十五日完成信長入城す)
                                   (案内版より)
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