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天授年中(1375〜1380)上野国甘楽郡奥平郡より奥平貞俊作手に至る。作手領主山崎三郎左衛門高元を頼り鴨ヶ谷甘泉寺に寓居し、勢力人望を得て川尻城を築き更に亀山城を築きこれに移る。
初代貞俊以降、2代貞久、3代貞昌、4代貞勝、5代貞能まで5代160年間この地に住し、長篠の戦の3年前天正元年8月20日、いわゆる田原坂石堂ヶ根の戦を最後に嫡子貞昌、信昌と共に作手を去り、貞昌は長篠の城将となって武田の若き主将勝頼と日本戦史に名を残す長篠の戦をなすに至る。
その後、信昌は新城城主となり、更に関東移封となったが、慶長7年(1602)信昌の4男松平下総守忠明(後に大阪城、姫路城の城代となる)が、作手藩1万7千石に封ぜられ城は復活したが、慶長15年伊勢亀山城に移るに及び廃城となった。 |
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遺構は本丸を中心に曲輪、土塁、空濠が現存する。土塁には中世築城の特徴を残す奥三河屈指の城址である。 |
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