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大坂城といえば豊臣秀吉を想起するが、往時の大阪城は、大坂夏の陣により落城している。その後、徳川時代に再築されたが、維新の動乱期に多くの建造物は焼失してしまった。現在の城は昭和時代に復興されたものである。
少年時代の秀吉については、寺に入れられたが追い出された、草刈り、薪取りをしていた、木綿針を売りながら東海道を放浪した、などという話が伝えられているが、確かなことはほとんどわからない。
江戸時代後期に作られた『絵本太平記』などにより、三河・矢作川の橋の上で少年・秀吉が盗賊の蜂須賀小六と出会ったというエピソードが有名になったが、実際には、当時、矢作川に橋はかかっていなかった。また、小六は盗賊ではなく、尾張国海東郡蜂須賀郷の土豪であった。
信長に仕え始めた秀吉が、毎朝鷹狩りに出かける信長のぞうり取りを欠かさずつとめ、出世の糸口をつかんだというエピソードは、江戸時代初期に成立した『豊鏡』という伝記に記されている。その他、やはり江戸初期の『太閤素性記』や『川角太閤記』にもぞうり取りに関する記述があるので、秀吉が信長のぞうり取りをしていたことは確かな事実のようである。
ただし、ぞうりを懐に入れて暖めたという話は、江戸時代後期の『絵本太閤記』の脚色である。
<豊臣時代の大阪城>
明応5年(1496)の秋、浄土真宗の蓮如上人が今の大坂城付近に一宇の坊舎を営んだ。この坊舎はやがて大坂本願寺(石山本願寺)と呼ばれる大寺院に成長し、折りからの戦国の世にあって大いに権勢を奮ったが、やがて台頭してきた織田信長のために天正8年(1580年)陥落してしまった。ところが、まもなく信長は本能寺の変で自刀してしまい、その後を受け継いだ豊臣秀吉が新たに大坂を手に入れ、本願寺跡に入るが天正11年(1583)、天下統一をねらう秀吉は新たに大規模な築城工事に着手、やがて三国無双と評される豪壮な城郭を完成させた。しかし、この城も秀吉の死後17年経た慶長20年(1615)、大坂夏の陣の兵火にかかって全焼してしまった。
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大坂夏の陣のミニチュア(ジオラマ)。馬上の武将は真田幸村である。夏の陣の旗印:徳川方は1段目〜2段目右側、豊臣方は2段目左側から3段目。 |
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豊臣秀頼・よど殿らの自刃の地。 |
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<徳川幕府の再築>
夏の陣後、大坂は一時松平忠明の領するところとなったが、将軍秀忠は間もなく直轄地とし、元和6年(1620)から大阪城の大規模な修築工事を開始させた。この工事は10年の歳月を経て寛永6年(1629)に完成したが、わずか36年後、落雷のため天守閣が焼失し、以後江戸時代を通じて天守閣は再建されなかった。幕末に至り、町人の御用金で大手多聞櫓の再建をはじめ大修復が行われたが、明治維新の動乱で多くの建造物を焼失した。
<昭和の天守閣復興>
昭和6年(1931)、大阪市民の熱意により鉄筋コンクリート造り地上55mの天守閣を再建した。しかし、太平洋戦争では城内及び周辺に多くの軍事関係施設があったために激しい爆撃にさらされた。ほとんどの建造物が破損したなか、幸いにもこの天守閣は焼け残った。こうして戦後を迎えた大阪城は昭和23年(1948)から史跡公園として再出発することとなり、翌年に天守閣の再開、その後古建造物の修復、博物館の開設、近年は大阪城ホール・野外音楽堂などユニークな施設が建てられ、今や国際的な一大史跡公園となった。 |
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<号砲>
この大砲は、全長348p、砲口の内径20p、外径40p先込め式の旧式砲で、材質は青銅の一種とみられる。
1863年、幕府の命令により、美作津山藩(岡山県津山市)の鋳工・百済清次郎らが製造し、大坂天保山砲台の備砲として備え付けられ、明治維新後、大阪城内に移されたと伝える。
明治3年(1870)から時刻を知らせる号砲として用いられ、はじめは日に3度、明治7年(1874)からは正午のみ空砲が大阪市内にとどろきわたり、「お城のドン」「お午(ひる)のドン」の名で市民に親しまれた。火薬節約その他の理由により大正12年〜13年(1923〜24)頃中止されたが、その時期と事情ははっきりしていない。 |
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<平成の大改修>
平成9年(1997)大阪の貴重な歴史・文化遺産として、また代表的な観光名所として60有余年にわたり親しまれてきた大阪城の大規模な改修が完成した。外壁の塗り替えと装飾部品の修復、金箔の押し直しにより白壁と金箔の輝きで彩られた美しい姿がよみがえった。天守閣は震度7の地震にも耐えられるように補強され、エレベーターの延長などにより、車椅子でも展望台へ出られるように改善された。閣内にはシアタールーム、ジオラマなどの興味深い設備が増え、歴史博物館としても充実した。こうして生まれ変わった天守閣は、外と内からライトアップされ、大阪のシンボルとして輝きを新たにした。 |