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<荻町城址>
築城年代は未詳だが、南北朝の頃、南朝の公家達が隠れ住んだ城といわれている。その後、内ヶ島上野介為氏が信州より入り、帰雲城を築城(1465年頃)した。その時、白川郷に勢力を張っていた正蓮寺(後の照蓮寺)を攻め白川郷を掌中にした。為氏は北(越中)からの攻めに備え荻町城を築き、家老である山下大和守氏頼を配した。荻町城3代の主「時慶」の2男山下大和守氏勝は、力が優れ強弓を引いて七・八丁距てたヤマズミの木に射ち込んだといわれている。氏勝は、内ヶ島の滅亡(大地震による帰雲城の崩壊・1585年)の後、徳川義直に仕え名古屋城築城や城下町整備などに功績をあげた。
<遺構>
本丸(全城域670坪)北・南・西の三面は絶壁となって腰曲輪を設ける余地もなく、したがって二の丸、出丸等の設備もなく居館式の城であり、珍しい様式と伝えられている。西南の角の高台地には物見矢倉跡がある。
現在、荻町城址は白川郷が一望出来る城山展望台として多くの人々が訪れている。 |
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