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戦国時代より土豪・豪族の間に、この古城をめぐって興亡のの歴史を綴りながら、元和7年(1621)有馬豊氏丹波福知山より転封入城し、以降廃藩に至るまで11代250余年の間、有馬家累代の居城として藩府が置かれていた。
本城は北西に筑後川を自然の濠とし、天恵の地勢を活用したすこぶる険要の地にある。築城法は平山多聞造りで、高い白土の城壁にそびえたつ二層と三層の七つの櫓があり、本丸東南隅の三層建の巽櫓は壮大な偉容を誇っていた。
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飲料水の有無が城の生命線を左右するともいわれ、城内には多くの井戸があったが、この久留米城には現在2つの井戸しかみられない。この井戸は堅い岩盤をくり抜いてつくられている。
現在、久留米状は石垣だけが残り、城内には有馬三氏を祀る篠山神社や、有馬家資料を展示する有馬記念館がある。春は花見、六月はしょうぶ、八月二十五日には鈴虫祭と、市民の憩いの場となっている。 |
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