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久保田城は秋田20万石佐竹氏の居城である。秋田初代義宣(よしのぶ)が慶長7年(1602)入部し、翌8年現在地に築城した。天守閣と石垣のない城として知られている。本丸は明治13年(1880)7月の火災で全焼した。明治23年(1890)公園として開放されその後千秋公園と称し現在に至っている。
<久保田城表門>
表門は久保田城本丸の正面で、一ノ門とも呼ばれていた。 本丸の玄関口として警備上からも重要な地点とされており、左手には門の警備と管理をする「御番頭局」、門の下手には侵入者を警戒する「御物頭御番所」を置いて厳重な守りを固めていた。
久保田城は慶長8年(1603)に築城して翌年に完成し、表門は元和8年(1622)に最初の建て替えが行われている。 その後、寛永10年(1633)、安永7年(1778)など何度か火災に見舞われている。
この門は、絵図などの文献資料や発掘調査の成果をもとに再建したもので、構造は木造二階建て瓦葺き櫓門であり、佐竹20万石の正門にふさわしい壮大なものとなっいる。
<久保田城本丸跡>
久保田城が築かれた神明山は、3つの高地からなる標高約40m程の起伏のある台地で、別名三森山とも呼ばれていた。
築城は慶長8年(1603)5月から着工され、翌9年8月に完成した。本丸は、最も高い所を削平や土盛をし、平らにして造られた。東西65間(約117m)、南北120間(約215m)のほぼ長方形を呈し、周囲には高さ4〜6間半(約7.3m〜11.8m)の土塁を構築している。
本丸の建造物には、表門から入った正面に玄関が置かれ、政庁である政務所が設けられており、池を配した中央部には藩主の住居である本丸御殿があった。
また、土塁の上を多聞長屋と板塀で囲み、要所には隅櫓を置き、北西隅には兵具庫を兼ねた御隅櫓を設けた。西南隅の土塁上には櫓屋敷と呼ばれた書院風二階建ての、「御出し書院」が造られた。
出入り口は周囲に表門(一の門)、裏門、埋門、帯曲輪門の4門に、御隅櫓に通じる切戸口があった。 |
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<久保田城二の丸跡>
本丸に次ぐ城の要衝地であり、城内に入城する道は、内堀を渡って二の丸に集まった。勘定所・境目方役所・安楽院(祈祷所)・時鐘・金蔵・廓などがおかれ、特に、二の丸広場は多数の家臣が集まる際の集合場所として利用されたほか、能や踊りの見物のために開放されることもあった。
<久保田城御隅櫓>
この御隅櫓はもと城内に8カ所あった櫓の一つで本丸の北西隅、一番高い台地(標高約45m)に位置しており、物見や武器の貯蔵庫などに使われたものです。
資料と発掘調査に基づき、当時の二階造りを基本とし、その上に市街地が一望できる展望室を加えた。市制施行百周年事業として21世紀にむけての市政の発展を願い、千秋公園の歴史的シンボルとなるよう復原したものです。 |
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<御物頭御番所>
御物頭は秋田藩の行政機構の中では番方に属す役職であり、配下の足軽を指揮して二の門(長坂門)の開閉及び城下一帯の警備を担当した。御番所の南側14畳の部屋に物頭が詰めて登城者を監視した。北側には7畳半の休憩所や台所・便所があり、中2階には8畳の部屋が配置されている。
『国典類抄』などの史料によれば、御物頭御番所は宝暦8年(1758)に焼失したのち再建され、安永7年(1778)以降の火災では類焼を免れたと考えられることから、建築年代は18世紀後半と推定される。
久保田城内で旧位置のまま今日まで残っている唯一の建造物である。
昭和63年(1988)年3月、保存修復工事を行い、平成2年(1990)に秋田市文化財に指定された。
〇形 式 切妻造南庇付 こけら葺屋根
〇間 口 約10.5m(5.5間)
〇奥行き 約9.5m(五間)
〇平面積 約100u(30坪) |
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<長坂門>
長坂門は本丸の玄関口である表門(一の門)の前に設けられており、二の門とも呼ばれていた。現在、久保田城跡に唯一残っている御物頭御番所(秋田市指定文化財)がこれらを管理していた。長坂門の名称は、二の丸から本丸へとのぼる長い石段「長坂」にちなんで名付けられたものである。 |
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<佐竹義堯像> 銅像の碑文
近代秋田を開いた秋田藩最後の12代藩主佐竹義堯公を敬慕する旧家臣が中心になり 戊辰の役後50年にあたる大正4年(1915)公の銅像をここに建立した。遺憾ながらこの銅像は太平洋戦争のさなか 国の金属回収策のためその姿を消してしまった。
市民有志はこれを惜しみ 昭和28年(1953) 旧銅像の原型として残されていた小型像を奉安してわずかに往時を偲んでいた。このたび市制百周年(1989)を迎え その記念事業として完全なる姿では往年の義堯公銅像に復元したものである。 |
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冬(正月元旦)の久保田城の景観。 |