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小倉城 唐造り   福岡県北九州市
小倉城
小倉城 小倉城
小倉城
 細川忠興(ほそかわただおき)は、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の功により、豊前国全域と豊後二郡を領する30万石(検地高39万9千石)の大名として入国、中津城に在城した。居城を小倉に移すため慶長7年これまでの小倉の城を廃して新しく築城をはじめ、その年の11月、小倉城へ移った。
 城の中心は、天守閣のある本丸と松ノ丸、北ノ丸で、これを囲むようにしてニノ丸、三ノ丸を配した。
 天守閣の外観は五重、内部は六層(現天守閣は、四重五層)である。 これは、五重目の内部が上下二段に分かれているためで、五重目の下段までは、白壁が塗り込まれ、上段は黒塗りで張り出しになっている。また天守閣の屋根には、破風がなく、当時この天守閣は、唐造りと称されていた.。  
 城のすぐ東を流れる紫川を天然の濠とし、この川をはさんで東西に曲輪を設け、城下町をつくつた。城郭の総構えは、約8qにもおよび、これを濠で囲み、街道に通じる8ヵ所の門を設けた。  
 寛永9年(1632)細川氏は、肥後国に移り、替わって播磨国明石城主であった譜代大名の小笠原忠真が小倉城に入り、15万石を領した。 
 第二次長州征討戦の慶応2年(1866)8月1日、小倉藩は、田川郡に撤退する際、小倉城に火を放ち、城内の建物はことごとく灰じんに帰した。なお、天守閣は、天保8年(1837)の火災で焼失、以降再建されなかった。  
 現在の天守閣は、昭和34年(1959)鉄筋コンクリートで、再建されたものである。
小倉城 小倉城
小倉城
小倉城の門
大手門 城の玄関口となる門。立派な巨石を多用した、正門にふさわしい門。
槻門
(けやきもん)
藩主、公儀役人の他、家老や主な寺の住職のみが通行を許された門。
鉄門
(くろがねもん)
中老以下一般武士が通行した。現在の左半分が往時のもの。
多門口門 多門とは本来長屋の事で、本丸から北の丸への通り道の門。
西の口門 小倉城の裏門にあたり、二の丸から本丸と松の丸へ入る門
虎の門 大手門、西の口門と並ぶ正門の一つで、天守から見て寅の方角にあるのでこの名がついた。
大手先門 現在の北九州市役所と小倉城庭園の間あたりにあった門。この門をくぐり、大手門へ向かった。
北口門 下屋敷(現在の小倉城庭園)から北の丸へ行く門。八坂神社の参道の門を入って右側が門跡。
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