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<市場城(大草城)>
市場城は、標高380mの山頂にある室町時代の山城です。
文亀2年(1502)に初代鱸(鈴木)紀伊守親信が築いてから、文禄元年(1592)に退去するまで90年間、鱸氏の居城だった。(第二代肥後守長重、第三代伊賀守直重、第四代越中守重愛)
現在見られる城の遺構は、四代城主重愛が串原、広瀬の城を攻めて大功をたてた。天正11年(1583)家康から所領の加増を受けたときに石垣を積み曲輪を構えるなど城郭の大改修を行って堅城とした。その後、重愛は天正18年(1590)、何らかの理由で改易となり市場城を出城させられ、文禄元年(1592)廃城となった。
山頂がいわゆる本丸跡で、その南側が石垣が積まれ、西側には二の丸がある。また帯曲輪が二重、三重に巡らされており、「竪掘群」や「枡形門」、家老屋敷跡といわれる「さんざ畑」が現存している。
天正3年(1575)の長篠の戦い以降鉄砲を主体とした戦いは、築城技術にも影響を与え、城の改修は「諸国古城之図」に見られるように、総石垣づくりにするなど、中世の城郭から近世の城郭へ転換したことを示している。
<帯曲輪>
市場城は、北東から南西にかけて堀や急な斜面などで守られた城館の堀削地である曲輪によって守られている。南西から曲輪の形状は馬蹄形を思わせ、その内側には3段に曲輪が帯状になった帯曲輪が築かれている。
<櫓の石垣>
石垣の上には櫓があったといわれ、自然の石を利用した野面積みで、さらに折りをつけ守りは厳重である。中世の山城は県下にも多く残っているが、石垣を築いたものは少なく貴重である。 |
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城内には、遺構に沿って1周15分ほどの遊歩道があるので、気軽に散策することができる。この辺り一帯は四季桜が咲き、四季桜と紅葉を同時期にみることがきる。 |
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