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福山城は、元和5年(1619)福島正則の改易により備後十万石の領主として入封した水野勝成が、3年の歳月を費やし構築した近世の城郭である。
低い丘陵を利用した平山城で、東・南・西に二重の堀をめぐらし、北には吉津川を通し、小丸山・天神山を天然の防塁とした。現在内外の堀は埋められ、三之丸と共に市街化しているが、二之丸・本丸は築城当時の姿をよく伝えている。城地には、そそりたつ石垣をはじめ重要文化財の伏見櫓・筋鉄御門(この2つは築城当時、伏見城から移築したもので昔日の姿を留めている)、市重要文化財の鐘櫓などがあり、昔日の姿をとどめている。
なお、天守閣・月見櫓・湯殿は昭和41年(1966)に、鏡櫓は昭和49年(1974)に、それぞれ外観復原したものである。
<福山城鐘櫓>
築城当時より城下や近隣諸村に「時の鐘」をつげた遺構で江戸期には鐘と共に緊急時武士を招集する太鼓を備えていた。
当初は柿ぶきか桧皮ぶきであったが明治以後荒廃が激しくたびたびの補修のため原形をとどめない状況であった。昭和54年銅板ぶきとし旧規に復したものである。城地内に鐘櫓が所在するのは全国的に例がなく貴重な文化財である。 |
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