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「白鷺城」の異名をもっている姫路城は、国宝・重要文化財に指定されており、法隆寺などとともに、ユネスコの世界遺産に登録されている。
天守は、東西2本の心柱で支えられた5層6階地下1階の7層の大天守と小天守3基(西・乾・東)で構成されている。
東西の大柱(心柱)は地階から最上階(6階)まで全長24.6mある。東の大柱は樅(もみ)の木の一本柱だったが、根元が腐っていたので、昭和の解体修理(昭和31年(1956)〜昭和39年(1964))のとき、檜(ひのき)材で根継ぎをし補強された。
西の大柱は、3階から上部は栂(とが)、下部は檜材を用いて継がれていたが、芯が腐っていたので昭和の解体修理のとき、新たに檜材を2本用い、以前と同様に3階で継ぎ、鉄輪で補強された。
<上部の檜>兵庫県神崎郡市川町笠形神社地檜(樹齢・約670年)
<下部の檜>岐阜県恵那郡木曽谷国有林木曽檜(樹齢・約780年) |
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姫路城は、徳川家康の次女督姫を妻とする池田輝政により建てられたもので、関ヶ原の戦いの翌年にあたる慶長6年(1601)から8年の歳月が費やされ、5層7階の壮大にして壮麗な城となった。それまでは、秀吉が建てた3層の城だった。姫路の地政学的位置から、姫路城は西の要として、幕府の関西方面への押さえとして重要な立場にあった。そのための構えとして、大天守と3つの小天守、これらを結ぶ渡櫓からなる連立式天守など外敵に対応した独特の造りが見られる。この城がいかに重要な要塞であったかが分かる。そして、城主は徳川一門あるいは譜代の重鎮が姫路城に入ったのである。
姫路城は400年の歴史の中で、戦火にあうことがなかった。そのため、大天守、小天守、渡櫓、堀、城門などがほぼ完備された状態で残っている。江戸時代の築城技術が分かる貴重な文化遺産である。(国宝、国の重要文化財、国の特別史跡、ユネスコ世界遺産)
現在、城を取りまく姫山公園は、桜、ツツジなどの名所になっている。特に、桜の季節には桜と姫路城の美しさを見ようと大勢の人々が訪れる。 |
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