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彦根藩井伊家35万石の居城。井伊直継、直孝によって、約20年の歳月をかけて元和8年(1622)に完成した。彦根城天守閣は国宝、その他の建築物は重要文化財として貴重な文化遺産になっている。城全体の景観として、琵琶湖から直接引き込んだ堀をめぐらし、小高い山に立つ。3重3層の天守(重要文化財)を中心に、城内には長浜城から移築された天秤櫓(重要文化財)、城内の合図のための太鼓が置かれていた太鼓門櫓(重要文化財)、近江八景を模した庭園の玄宮園などがある。天守閣の内部は見学もできる。特に、天守閣の木組みが力強くて素晴らしいし、廊下橋は非常時には落下させて敵の侵入をはばむようにできている等当時の様子が想像できる。天守閣からは琵琶湖が一望の下に見渡せる。 |
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<彦根の城下町>
彦根の城下町は、大規模な土木工事によって計画的に造られた町です。計画当初、城下は多くの渕や沼のある湿潤な土地が広がっていた。そのため、松原内湖に注いでいた芦川(善利川)を約2qにわたって付け替えて一帯の排水を良くし、琵琶湖に直流させた。また、現在の尾末町にあった尾末山を全山切り崩して、周辺の低地を埋め立てたと伝えている。こうした土木工事により、城下町の計画的な地割が可能となった。 |
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完成した彦根の城下町は、3重の堀によって4つに区画されていた。内堀の内側の第一郭は、天守を中心として各櫓に囲まれた丘陵部分と藩庁である表御殿(現在の彦根城博物館)などからなっている。内堀と中堀に囲まれた第二郭は、藩主の下屋敷である槻(けやき)御殿(現在の玄宮園・楽々園)と家老など千石以上の重臣の邸宅が広がっていた。中堀と外堀の間の第三郭は「内町」と称し、武家屋敷と町屋、また外堀の外の第四郭である「外町(とまち)」には商工人の住居と足軽の組屋敷があった。内町・外町ともに武士・町人あわせて居住しているが、居住地は明確に区分されており、魚屋町・桶屋町・職人町など職業による分化配置が見られた。
天守や櫓とともに、こうした城下町の姿を良く残しているのも彦根の大きな特色です。 |